女性と仕事

年末からここ最近まで、「今までの仕事人生でこんなにがんばったことはなかった」と思うくらい、ひたすら働く日々だった。

昨年のクリスマスの日、かねてより形にしたいと思っていた新書の企画が、突然に通ったからだ。

ただし、出版社からは「1ヵ月で原稿を書いてほしい」と言われた。

ある程度の材料はそろっていたが、骨子に当たる部分の取材は年明け以降。おまけに、かなりむずかしい取材だ。

取材と並行しながら1ヵ月で書籍一冊分の原稿を書くというのは、さすがにハードルが高い。

原稿用紙に換算すると実質で350枚、「捨てる(書き直す)」分を加えると500枚はあるだろう。

それでも、迷っているヒマはなかった。

とにかく全力で取り組むしかないと決めて、怒涛のように執筆、取材、また執筆という日々がはじまった。

こういう仕事をしていると、夜、寝ようとして目を閉じても文字が降ってくる感覚に襲われる。

夢の中でも原稿と格闘し、夜中に目が覚めるともう眠れない。

料理をしていて、ハッと思いつく言葉が出てくるとあわてて中断、フライパンを放ってしまう。

買い物中に「ここからの展開はこうすればいい」などと浮かぶと、何を買うのかすっかり頭から抜け落ちて、肝心の食材を忘れてスーパーを後にしてしまったり…。

2月の第一週になんとか入稿(原稿を出版社に送ること)できたが、無理がたたったのか体調を崩してガックリ。

またその体に鞭打って、これからゲラ(原稿の見本印刷)と格闘しなくてはならない。

若いころは、「もうこんな仕事やめたい!」と思うことがよくあった。

取材の失敗で相手を怒らせ、編集者からもさらに怒られて心は撃沈。

デスクが「思いつき」で考えた無理やりの企画を振られて、頭が真っ白。

締め切りまで1時間しかないのに、デザイナーさんから紙面のレイアウトが上がってこなくて文字数が確定できない。

原稿がうまく進まず、パソコンの前でゲェゲェ吐くなんてこともよくあった。

今も大変な状況に変わりはないけれど、「やめたい」と思うことはなくなった。

それどころか、ようやくこの仕事のおもしろさがわかるようになって、「ありがたい」と思える。

書けるテーマ、書ける媒体があるのは、どれほどありがたいことだろうか。

私の書いたものを読んでくださる方々がいるということは、何ものにも替えがたい喜びであり、幸せにほかならない。

昨年の12月、企画が通る直前、私は「女子高校生未来会議」というイベントにゲストとして招かれた。

会場は参議院会館のホール、安倍首相夫人の安倍昭恵さんも参加された。

「女子高校生100人×女性のロールモデル」、現役の女子高校生が、社会の第一線で活躍する有識者と一緒にさまざまな問題を話し合うというものだ。

「女性と仕事」、「防犯」、「政治」、「家族問題」、「留学」、「JKビジネス」、「DV」など多彩なテーマがあり、どのテーブルも熱い意見交換が行われていた。

参加した女子高校生たちは、はつらつとしていて、優秀で、いかにもこれからの日本を背負っていくエネルギーにあふれていた。

一方、この会議では厳しい現実もあきらかにされた。

大学を卒業した新卒女性100人が、正社員で企業に就職したとする。

このうち、20年後も正社員として働きつづけている女性は10人。

10人のうち、取締役など経営の中枢に関われる女性は1人。

これが現在の状況だという。

女性が働いていく中には、確かにたくさんの壁がある。

外からは見えない場所で、さまざまな難題を抱えながら格闘することも珍しくない。

私も、私の仕事仲間の女性も、それぞれ犠牲にしたものも少なくなかった。

それでも私は、女性に仕事を持ってほしいと思っている。

どんな形でもいいから、仕事のおもしろさがわかるまで、なんとか「働く」という自分にしがみついてほしい。

ところで「働く」というのは、「はた」が「らく」になる、「はた」を「らく」にさせる、こんな意味があると聞いた。

「はた」とは、側とか傍らということ。

つまり、近くにいる人に楽になってもらう、楽しくさせる、それが「働く」ことの本質だ。

女性は、女性ならではの感性で、周囲を楽しくさせる働き方ができるはず。

誰かの役に立ち、誰かを幸せにして、そういう自分に喜びを覚えるような仕事ができると思う。
 
後につづく若い女性たちにそんなメッセージを伝えられるよう、私もこの仕事に感謝を持って進んでいきたい。