子育ての時間

11月は児童虐待防止月間のため、講演のご依頼をたくさんいただく。

昨日は茨城県古河市でお話ししたが、講演が終わってから、何人もの方が私のもとにいらした。

子育て中のお母さんやお父さんが、「どうしたら子どもにもっと優しくできるでしょうか」、「今日のお話を聞いて、本当に考えさせられた」などとおっしゃって、大粒の涙を流される若いお母さんもいた。

私は家族問題を取材するジャーナリストである一方、私生活では二人の息子を持つ母親だ。

子育てに悩む親の気持ちは痛いほどわかる。

そこで今日は、私自身のプライベートな話を書いてみたいと思う。

二人の息子のうち、次男は20歳で社会に出た。

中学時代にいじめに遭って、親子とも言葉に表せないくらいのつらい思いを重ね、私は息子の将来に大きな不安を抱いていた。

20歳という若さで社会に出ていくことが本当にいい選択なのか、もう少し甘やかして、自分の手中で守ってやるべきではないのかと迷ったが、最終的に息子は就職という道を選んだ。

その就職先はビルメンテナンスの会社で、息子は清掃の仕事をすることになった。

典型的な3K(きつい、きたない、危険)の仕事だ。

おまけに、給料が安いというもうひとつの「K」まで加わる。

厳しい職場環境で、息子の同期だった新入社員は次々と退職していった。

最後にひとりだけ残った息子は、同期もいない中で人知れず苦しい思いをしていたことだろう。

最初に配属されたのはある有名ホテルだったが、間もなく都心のオフィスビルに異動となり、そこからまた赤坂のホテルへと職場が変わった。

異動するたび、またイチから仕事を覚えなくてはらないし、あらたな職場の人間関係に適応する必要もある。

ゴールデンウィークやお盆休みはおろか、既定の休みも取れないほどの激務で、私は息子の心身を案じてハラハラしどおしだった。

就職して2年目が過ぎようとするころ、勤務先だったホテルが取り壊されることになった。

芸能人が結婚式を挙げたり、政治家が会食するようなホテルだったから、清掃のクオリティーも厳しく求められる。

バスルームのタオルの配置ひとつ取っても厳格なルールがあるし、外部の会社の社員とはいえ、ホテルマンと同様のホスピタリティが要求される。

息子は家では愚痴をこぼすことなどなかったが、洗剤で荒れた手指や疲れた寝顔、あっという間に擦り切れてしまう制服から、相当苦労していることが察せられた。

ホテルが取り壊しになる前、近くで仕事があった私は、こっそり立ち寄ってみることにした。

息子が清掃を担当している階までエレベーターで行って、お客さんのふりをして廊下を往復してみたが、昼時のせいかひっそりと静まり返っている。

このままホテル内のレストランでランチでも食べて帰ろうかと思った矢先、「Staff only(従業員専用)」という標識のドアが開いた。

中からパートの女性たちの話し声が聞こえ、誰かが「石川さん」と口にしている。

あれ、石川さんってウチの子のことかしら? そう思った瞬間、ドアから息子が出てきた。

私はこの偶然に驚いたが、もっとビックリしていたのは息子のほうだ。

まさか母親が来ているとは夢にも思わなかったことだろう。

目を点にして、わずかに照れたような顔を浮かべたが、すぐに私に向かってはっきりとこう言った。

「いらっしゃいませ」

いかにもホテルで働く人のきれいなお辞儀を見せ、キビキビとした足取りで廊下を去っていく。

私は息子のその姿を見ながら、感動の涙をこらえることができなかった。

突然母親を前にして、恥ずかしさや困惑はあったかもしれないが、それよりもむしろプロとしての仕事を忘れなかった息子が誇らしい。

「かーちゃん、なんでここにいるんだよぅ」などと親しげに言われるより、私を「ひとりのお客様」として冷静に接してくれた息子が、心からうれしかった。

同時に、私は「子育ての時間が終わった」ことを知った。

あんなに私にまとわりついて、泣いたり駄々をこねたりしていた息子は、もう立派におとなになったんだ。

親を乗り越え、自分の足で、この厳しい社会の中で懸命に生きているんだ。

そう思えたら、泣けて泣けて、それは本当にうれしく、でも少しだけさびしい涙だった。

子育てに悩む若いお母さんやお父さんに言いたい。

子育ての時間は、いつか終わるんだよ、と。

今日、子どもと手をつないで歩いていても、やがて子どもはひとりで歩くようになる。

今日、「なんでウチの子はできないんだろう」と悩んでも、いつか子どもはちゃんとできるようになる。
子育ての時間は、永遠にはつづかない。

そして子育ての時間は、かけがえのない幸せをもたらしてくれる。

だから子どもを叩いたり、怒鳴ったりする時間より、子どもと一緒に笑い、向き合う時間を過ごしてほしい。

子どもをたっぷり愛し、しっかりと信じ、ゆっくり見守ってほしい、そう切に言いたいのだ。

久しぶりに今日、小学校の卒業時、息子が私にくれた「感謝状」を引っ張り出してみた。

「お母さん、ありがとう」という言葉に、私はこう返したい。

いいえ、私こそありがとう。

あなたたちの母親でいられたことに感謝して、だから私はがんばって生きていけるんだよと。