フリーランスの「タダ働き」

「まだ企画の段階なので、正式に記事になるかどうかわかりませんが、ひとまず話を聞かせていただきたい」
「これから番組制作に取り掛かりますが、石川さんの知見を参考にしたいので、ご協力をお願いします」
新聞社やテレビ局など「大手マスコミ」と呼ばれる会社から、こんな問い合わせが寄せられる。
特に世間の注目を集める事件があったりすると、1日のうちに何社からも連絡が来る。
たいていの場合は「急いでいる」と言われるので、私はほかの仕事を後回しにしたり、予定を組み替えたり、ときには相当な無理をしてでも、できるだけ先方の都合を優先する。
自分の「労働時間」を相手の都合に合わせるだけでなく、相当な努力を費やして得た自分の「専門的知見」を提供するわけだ。
その際、先方からは「謝金」の提示がない。
つまり、「タダで話を聞かせて」、「タダで協力して」という。
先方の立場になれば、「あなたの話を聞いてからでないと、モノになるかどうかわからないので、先に協力してほしい」ということだろう。
企画段階。制作進行中。これから上司と相談する。
言い方はいろいろあっても、とにかくその時点では「タダで協力して」には変わりない。
その後、「正式に記事にする」とか、「番組出演をお願いしたい」となったとしよう。
すると、また「あらためて話を聞かせてほしい」、「資料やデータを借りたい」、「取材できる人を紹介してほしい」、そんなふうに連絡が来る。
相変わらず「急いでいる」と言われるので、私は自分の仕事や都合を後回しにして、できるだけ先方に協力する。
そうしてかなりの時間を使おうが、自分の取材から得た知見を提供しようが、ときには自分が取材した人(当事者など)を紹介しようが、この段階では謝金が支払われるかどうか、まったく提示されることはない。
やむを得ずこちらから「謝金はどうなっていますか」と尋ねるが、このとき先方の対応は二つに分かれる。
ひとつは「些少で申し訳ないですが、〇〇円をお支払いさせていただきます」というもの。
もうひとつは「謝金はお支払いできません」というものだ。
繰り返すが、私はほかの仕事を後回しにして、自分の時間と労力、専門的知見を相手に提供している。
にもかかわらず、あっけらかんと「タダ」だとのたまう。
しかも先方は、労働者の権利だのなんだのと声を大にして報じる「大手マスコミ」なのだから笑わせるではないか。
最近も同じことがあった。
ちょうど伊豆にある実家を訪れ、両親の墓参りをしようと思っていたときだ。
早咲きの河津桜をうっとり見ていたら、某新聞社から「協力してほしい」と連絡が来た。
私は墓参りもそこそこに、先方の記者に協力し、ずいぶんと時間をかけて自分の専門的知見を提供した。
一通り終わって、私から「識者コメント料はおいくらですか」と尋ねたところ、「支払うことはできません」と言われた。
その記者いわく、「大学教授などの識者の場合でも、コメント料は一切支払っていません」と平然としている。
専門家にイチからレクチャーを受け、それをもとに記事にし、記者は「給料」という名の対価を得ている。
言い方を変えれば、相手の時間と労力、専門性やスキルを無償で提供させて自分たちの利益にすることに、なんら疑問を持っていない。
ちなみに大学教授や医師などの専門家は、所属先(大学や病院)から報酬を得ている。
つまり、業務の一環として識者コメントを出す場合があるわけだ。
勤務時間中に、自分の業務と関連することを労力として提供するわけだから、百歩譲って「謝金は支払われない」と言われてもまぁ納得という話かもしれない。
だがフリーランスは違う。
個人の時間と労力、専門性を提供する対価として報酬を得ているわけで、無償、つまりタダ働きを当然視されてはたまったものではない。
マスコミにはこのような悪習があり、「口約束」でフリーランスにタダ働きを強いることが常態化している。
私自身、タダ働きに甘んじ、体よく利用され、もっと言えば自分の労力を搾取されてきた経験は数えきれない。
今回の新聞社だけでなく、「公共放送」を名乗る某テレビ局は特にひどい。
さんざんこちらの話を聞き、時間と労力を提供させ、その後一切の連絡も寄こさないまま番組を制作して放送したことさえあった。
「タダ」という言葉では足りない、まるで「ぼったくり」だ。
むろん、カネをもらえなければ一切協力しないと言っているわけではない。
あらかじめ「謝礼はお支払いできないが、ご協力いただけないか」という条件が提示され、それを私が了承しているかどうかが問題なのだ。
「予算がないので、なんとか無償で協力いただけないか」と事前に言われ、自分自身も納得できるのなら、可能な範囲で協力することはあっていいと思っている。
けれども「後出しジャンケン」のように、さんざん専門家の時間と労力、もっと言えば知的財産を提供させておきながら「払えません」とはどういう理屈だろう。
フリーランスを体よく利用し、連絡さえよこさないまま放置し、自分たちの手柄のように報じるのは、どういう権利なのだろう。
我ながらしつこいが、これが「大手マスコミ」とか「公共放送」などと名乗っているのだから笑わせる。
泣き寝入り、という言葉がある。
前述したように、フリーランスの私はこれまで数えきれないほどタダ働きを強いられ、やむを得ず泣き寝入りをしてきた。
けれども私のようなベテランがタダ働きに甘んじれば、若いフリーランスはもっとつらい状況から脱却できない。
この歳になって、今さら怖いものなどないが、あえて怖いと言うのなら、それは自分の「弱さ」だ。
フリーランスをバカにするな。
私たちの時間や労力、知見やスキルをタダで搾取するな。
そう言えない「弱さ」を克服しなければ、同じ立場の人たちに顔向けできない。
だから今回、私は闘ってみようと思っている。