若者の希望と不安

龍谷大学社会学部のシンポジウムに、講師として参加してきました。

パネリストとしてご一緒したのは、元横浜市副市長の前田正子さん。

前田さんのご著者は以前から拝読していたし、お名前も存じ上げていたけれど、お目にかかるのは今回がはじめて。

「横浜の副市長をやってたくらいだから、スゴイ人だろうな」と緊張していましたが、いざ対面したら、なぁんだ、私と同じ、気さくでおしゃべりなオバサン(笑)。

もちろん、前田さんの経歴と能力はすばらしいんですけど、能ある鷹は爪を隠す、の典型のような明るい笑顔の女性でした。

このシンポジウムのテーマは「無縁化する子どもたち」。

前田さんは行政の立場から、そして私は現場を取材してきたジャーナリストとして、それぞれ現状報告や問題提起を行いました。

「子どもの泣き声は迷惑?」とか、「社会は子どもに関心を持っているか」とか、結構突っ込んだ話し合いが持たれたのですが、そもそもこの企画をしてくれたのは社会学部の学生さんたち。

年に一度、シンポジウムをもとに学生たちが寄稿した冊子も刊行していて(それもかなり立派なもの)、当日もたくさんの人が参加、活発に発言してくれました。

つくづく思うのは、イマドキの大学生はよく勉強してるなぁ、というもの。

同年代の息子がいる私には、彼らのまじめさが本当に身に沁みます。

「分数ができない大学生」などと言って、能力の低さを揶揄するような議論もあるけれど、こと社会問題への意識は、私が大学生のころよりはるかに高まっていると思います。
 
今の大学生は生まれたときからずっと右肩下がりの経済状況しか知らず、厳しい就活事情がつづいています。

仮に就職できても、ブラック企業とか、リストラとか、雇用不安がつきまとう…。

年金、社会保障、増税、外交、経済、いろんな「負」が、彼らの肩に負わされているのが現状です。

一生懸命勉強して、まじめに努力しているのに「報われない」――。

こうした不安が、若者にとってどれほど苦しいものか、年長者はもっともっと、真剣に考えていかなくてはならないでしょう。

若者や子どもが希望を感じられない国に未来はない、そう私は思います。

若者や子どもが明るい将来像を描けない社会は、誰にとっても幸せではないはずです。

シンポジウム終了後の懇親会で、20歳になっていない学生さんたちは、誰ひとりアルコールを口にしませんでした。

そういう彼らのまじめさに、もっと光が当たってほしい。

イマドキの若いヤツは…、と批判ばかりするのではなく、彼らの能力やひたむきさが真に評価されてほしい。

そして、まじめでありながら熱い心を持つ若者がいることこそ、実は「希望」なのだ、そう思います。

彼らが、少しずつでもこの社会を変えてくれることを願いつつ、私に何ができるのか、今一度自分を振り返ってみたいと思うのです。