あなたたちの支え
見知らぬ電話番号がスマホの画面に表示されたとき、私は電車に乗っていた。
留守番電話に録音があることにも気づいたが、この先の乗換駅で確認すればいいやと電車に乗りつづけた。
JRから地下鉄へ移動する人で混雑する駅の構内。
駅員さんのアナウンスが響く中、留守番電話を確認した。
「こちらは日本文学振興会です。石川結貴さんの携帯番号でよろしいでしょうか。お伝えしたいことがございますので、折り返しのご連絡をいただけると幸いです」
男性の声に戸惑った。
日本文学振興会、その名はよく知っている。
芥川賞、直木賞をはじめとする、名誉ある文学賞に関わる組織だ。
ともかくも表示された番号を鳴らすと、すぐに応答があった。
「石川結貴さんのご著書、『家で死ぬということ ひとり暮らしの親を看取るまで』が、第55回大宅壮一ノンフィクション賞の候補作に選出されました」
心の底から驚いた。
いい年をして笑われそうだが、「夢か?」と思った。
上ずった声で「ありがとうございます」と返したが、言葉にならない感情が押し寄せて、とても冷静ではいられない。
大宅壮一ノンフィクション賞、それはノンフィクション界の芥川賞、直木賞とも称される。
歴代の受賞者、候補者は、ノンフィクション分野で活躍する高名な作家やジャーナリストばかり、私からしたらまったく雲の上の存在だ。
そういう中に、自分のような冴えない物書きなんかが入っていいのかと、なんだか申し訳なさまで込み上げた。
のちほど注意事項や提出書類がメールで送られると聞いて、ひとまず電話を切った。
乗車する予定だった地下鉄はすでに発車してしまったが、急ごうとしても感情が追いついてこない。
騒がしい構内、行き交う人々から隠れるように柱の陰に移動してふぅーっと息を吐くと、途端に涙がこぼれ落ちた。
専業主婦だった私が、二人の息子の子育てに追われていた私が、右も左もわからないまま出版業界に飛び込んで28年になる。
千葉郊外の住宅地に暮らす私にとっては、まだ幼かった子どもたちを置いて都内に出るだけでも大変なことだった。
深夜までつづく週刊誌の編集会議。
難航する取材交渉。
原稿の文字数指定が決まらないまま、迫る入稿(締め切り)時間。
「徹夜」があたりまえとされた当時の出版業界で、子持ちの元専業主婦が、バリバリ働く周囲の人たちに追いつくのは並大抵ではなかった。
当時、小学1年生と3年生だった子どもたちは、明け方になっても帰ってこない母親を待ちながら、どれほど不安だっただろうか。
食事の時間にも仕事の電話が鳴り、大慌てでパソコンに向かう母親を見ながら、どんな寂しさを覚えただろうか。
「ふつうのお赤さん」だった私が、ひたすら職業人としての道を切り開いていくことに、どういう葛藤を抱いていただろうか。
子どもたちの心中を思いやる余裕もなく、私の留守中のアクシデントやトラブルを幼い身に負わせ、つくづくダメな母だったと後悔ばかりだ。
けれどもそんな私を、子どもたちはいつも支えてくれた。
笑顔で、冗談で、クイズで、肩たたきで、母の日の一輪のカーネーションで…。
日常のささやかな、けれどあふれんばかりの愛情で包んでくれた。
「おめでとう」
「よかったね」
大宅壮一ノンフィクション賞の候補になったことを知らせると、すでに30代半ばになった彼らはそう言って、ついでにこんなふうに笑わせてくれた。
「まぐれだろ」
さすが息子たち。
勝手に舞い上がりそうな母親の、おめでたい性格をよく知っている。
そう、候補になったのは、まぐれかもしれない。
でも私は、すでにまぐれ以上の、奇跡を手に入れている。
あなたたちという、かけがえのない家族。
あなたちと過ごしてこられた、今日までの幸せ。
あなたたちの支えがあったから、私は今ここにいる。
心からの「ありがとう」を伝えたいが、どうにも照れくさくて、代わりに彼らの大好物、甘辛のきんぴらごぼうでも作ろう。