回りまわって

私は『家で死ぬということ』を推した。

(文藝春秋7月号/2024年6月10日発売号より抜粋)

大宅賞選考委員のひとり、ノンフィクション作家の石井妙子さん(『女帝』文藝春秋刊、『おそめ』新潮社刊等)は、第55回大宅賞の受賞作、候補作についての選評にそう書いていた。

つづけてこんな文章がつづく。

(中略)本書で著者は、父親の介護と看取りをモチーフとしながら、今の日本社会を考えさせる広く、大きなテーマに迫っている。

(中略)構成も、文章も、候補作の中で最もしっかりしており、何より読後に多くの気づきを与えられた。

今の社会の問題に気づき、将来の在り方を考える。このような作品こそ、本賞の趣旨に適うのではないか。

(文藝春秋7月号/2024年6月10日発売号より抜粋)

石井さんをはじめ、他の選考委員の方にも高い評価をいただいた拙著だが、残念ながら大宅賞の受賞はならなかった。

結果を知ったあと、いろいろな感情が沸き起こったが、ここではあえて控えたい。

ただひとつ言えるのは、この本を書く上で私が徹したのは「読者のために」ということ。

「賞」など微塵も意識せず、ただひたすら読者にとっての救いや希望、あるいは気づきになる作品にしたかった。

だから賞は逃しても、私の本が誰かの心を暖めている、そう信じていたい。

ところで大宅賞は別の、思いかげない出来事をもたらした。

拙著の刊行元である出版社、文藝春秋の女性編集者から届いたメールに、こんな内容があったのだ。

〈弊社の役員O・S(メールでは実名)が、石川さんと高校の同級生だったと言っています〉

〈Oは文芸の鬼と呼ばれ、長く芥川賞に関わってきました。とにかく仕事に厳しい人ですが、石川さんの本はすごくほめていました〉

この文面に驚いたのなんの、すぐに高校の卒業アルバムを引っ張り出したところ、確かにO・Sさんがいるではないか!

その高校は、静岡県立伊東高校という。

地方の、のどかな公立高校で、ごく一部の優秀な生徒を除けば、お世辞にも進学校とは言えない。

現に私が大宅賞候補になったことを知ったOさんは、先の女性編集者にこう言ったという。

「作家なんて、50年に一人出るかどうかの高校だよ。石川さんの活躍には驚いた」

いや、私のほうこそ何倍も驚いた。

あの高校の卒業生が文藝春秋の役員?

文芸の鬼と呼ばれ、芥川賞に関わってきた?

そもそもOさんは、ペンネームを使う私がなぜ同級生だと気づいたんだろう?

さまざまな疑問を抱える私に、女性編集者から「ではOを交えて、大宅賞残念会をしましょう」との誘いがあった。

当日、役員のOさん、私の担当編集者であるノンフィクション局長、女性編集者の三人が並ぶテーブルに近づくと、高校時代の面影を残したOさんがいた。

「四十何年ぶり?」

「こんな偶然あるんですねぇ」

「私、御社の仕事をもう20年以上やってるから、今までも社内のどこかですれ違ってたかも?」

会話がはじまれば、お互いあっという間にタイムスリップ。

実家は伊東のどこあたりとか、高校時代は誰とつきあっていたとか、部活はどうとか、楽しく会話が弾む。

おまけにOさんと私は高校だけでなく、小学校も、中学校も、通っていた英語塾まで一緒と判明した。

要は子ども時代から青春時代まで、すぐ近くで過ごしてきたわけだ。

こうなれば相手が役員だろうとなんだろうと、すっかり同級生のノリでおおいに盛り上がった。

とはいえ前述のように、私はペンネームを使っている。

だからこそOさんはこれまで、私が同級生とは気づかなかったのだが、ここに大宅賞が関わっている。

芥川賞や直木賞、大宅賞などは「日本文学振興会」という団体が主催する文学賞。

私が大宅賞候補になるにあたり、生年や出身地、本名や経歴などを記載した候補者情報を日本文学振興会に提出した。

Oさんはその理事でもあったのだ。

理事であるOさんは、私の候補者情報を見て、「自分と同じ年? 伊東市出身?」、ついでに本名から「あー、これは伊東高校で同級生だったH代さん(私の本名)だ!」と気づいたという。

そう、私が大宅賞の候補にならなければ、Oさんとの再会はなかった。

受賞は逃したが、一方では大きなサプライズプレゼントを得たと言ってもいい。

残念会の食事を終え、Oさんと二人、カフェでお茶をした。

私たちが卒業した伊東高校は昨年廃校になり、今は別の高校と統合されて名称も変わった。

伊東で一番古い歴史を誇った小学校も同様だ。

「街中はすっかりさびれちゃったね…」

「伊東は、これからどうなるのかなぁ?」

遠い記憶を手繰り寄せ、懐かしい過去を共有するOさんと私は、寂しさもまた一緒だ。

「でも人生って不思議だね。回りまわって、今またこうして出会えたんだし」

「同じ本づくりの世界で生きてきて、その楽しさも苦労もわかりあえる人が同級生だなんて、うれしいよね」

そう、過去だけでなく、現在を、そして未来を語り合えればいい。

マグカップのホットコーヒーを前に、Oさんは優しく言った。

「H代さん、これからもいい本を書いてね」

本名でそう言われて、なんだか泣きそうになった。