「ミス梅の女王コンテスト」の思い出

梅の花を見ると思い出すことがある。

「ミス梅の女王コンテスト」、いわゆるミスコンに出た30数年前の体験だ。

コンテストの主催は静岡県熱海市で、市内に「熱海梅園」という観光スポットがある。

要はミスコンに乗じて熱海の知名度を上げるという、観光PRの一環として行われたものだった。

私は熱海市の隣の伊東市出身。

当時は大学生だったが、夏休みには帰省して市役所でアルバイトをしていた。

伊東も熱海と同様、海や温泉がウリの観光地だ。

夏休みには観光客が詰めかけ、花火大会や各種のイベントで賑わうため、市役所では臨時のアルバイトを10人ほど採用していた。

私は駅前で観光客にうちわを配ったり、イベント会場の設営を手伝ったりした。

そうして無事に夏休みが終わり、そろそろ冬休みというころ、アルバイトの担当だった市役所の人から電話がかかってきた。

「熱海で行われるミス梅の女王コンテストに出てみないか」という。

えっ? なんで熱海?

戸惑いながら尋ねると、先方からはこんな説明があった。

――コンテストの出場者を募集しているが、応募してくるのが東京や神奈川の人ばかり。

やはり地元の女性に参加してほしいと思っているが、熱海だけではなかなか集まりそうにないので、伊東からも女性を派遣したい。

そこで、キミたちアルバイトの女の子に声をかけている―-。

ざっくり言えば「埋め合わせ」のようなものだが、私はプライドをくすぐられた。

若さにありがちな、自己顕示欲と好奇心。

目立ちたい、きれいだと言われたい、そんな欲がふくらむ。

もちろん強制ではなかったが、ほかの女の子たちとも相談して、私を含め3人が出場することになった。
ところが、私はすぐに現実に直面した。

出場規定に「振袖」とあったが、肝心の着物を持っていなかったのだ。

ひねくれ者だった私は、「成人式の着物は要らない!」と言い、だから親は着物を買っていない(その後、成人式には洋服で出た)。

近所の親切なお姉さんが「私の着物でよかったら」と貸してくれ、美容院で着付けをしてもらう。

電車と徒歩で移動し、会場へと向かったが、控室に入ったころには早くも着崩れかけていた。

なんとか気を取り直し、一緒に参加するアルバイト仲間の女の子とおしゃべりをはじめたが、私たち3人は完全に浮いていた。

「梅の女王」を目指して応募してきた人たちとの落差がスゴイのだ…。

美しさという落差だけでなく、品性やオーラがまるで違う。

こちらは所詮埋め合わせという立場で、借り物の着物に徒歩移動。

地元の方言でおしゃべりし、いわば「田舎丸出し」みたいな女の子だ。

一方、東京や神奈川から応募してきた人たちは入念に化粧をし、洗練された都会の空気を醸し出す。

付き添う家族は毛皮のコートを着ていたり、高級外車で乗り付けたり、今の言葉で言うセレブ感が漂っている。

やがてリハーサルがはじまり、一人ずつ舞台に出て自己紹介の練習をすることになった。

「〇〇女子大学に通っております〇〇です。趣味はピアノ演奏で、好きな曲はショパンの〇〇です」

「東京都港区から参りました〇〇と申します。休日は家族と一緒によくドライブに出かけておりまして、特に熱海はよく来ている大好きな街です」

「私はスチュワーデス(当時はキャビンアテンダントをこう呼んだ)を目指しております。今は英語やマナー、それに海外の文化などについて勉強中です」

舞台袖に控える私は、いかにも場違いな自分に身が縮む。

アルバイト仲間の女の子たちと顔を見合わせ、互いに苦い笑いを交換する。

本番前、すでに私たちは「撃沈」し、自分の身の程というものを痛感した。

優勝したのは東京から参加した女性で、目を見張るほどきれいな人だ。

立ち居振る舞いにも華があり、優雅さと艶やかさを兼ね備えた、文句のつけようのない「女王」だった。

帰り道、甘味処でクリームあんみつを食べながら、3人でひとしきりおしゃべりをした。

いつもと変わらないようなおしゃべりだったが、私の心はそれまでと違っていた。

世の中は広い。

あたりまえの事実を、そのときはじめて確信した。

自分よりはるかにスゴイ人たちを目の当たりにして、自分の知らない世界に圧倒され、みずからの小ささ、狭さ、甘さ、そういうものが胸に迫った。

今にして思えば、それがおとなへの入り口だった気がする。

その入り口を抜けたあとも、幾度となく自分の小ささに打ちのめされ、それでもなんとか歩んできた。

今年も厳しい寒さの中、梅の花が咲く。

可憐な花と気高い香りの下で、ふと人生を振り返ったりしている。