天から降りてくる

先月、「日本文藝家協会」に入会した。

作家やジャーナリスト、脚本家、歌人、詩人など、いわゆる文藝家の職能集団で会員数は約2,300人。

その末席に、参加させていただくことになったのだ。

入会にあたり、通常は理事会での審査・承認が必要だそうだが、私は「推薦入会」という形を頂戴した。

常任理事2名が推薦することで、審査なく会員になれるという。

私の推薦人は、芥川賞作家の三田誠広先生、そして直木賞作家の林真理子先生だった。

会員には月に一度、「文藝家協会ニュース」という冊子が送られてくる。

その10月号に、林真理子先生と文藝家協会理事長の出久根達郎先生の対談が収録されていた。

何の気なしに拝読したら、これがとてもおもしろい!

おもしろいなんていう表現は恐れ多いかもしれないが、胸にストンと落ちるものがあって、ひとりウンウンと頷いた。

林先生は「腱鞘炎になった」とおっしゃる。

仕事が重なり、当然、書く量も増えていくわけだが、「手書き」をされているのでついには指が動かなくなったという。

そこで話が「手書き」に移り、出久根先生と林先生が、「現在、手書きで書いている作家」の名前を挙げていく。

ご両人以外には、浅田次郎さん、北方謙三さん、江國香織さん、山田詠美さん、とそうそうたるお名前。

次に林先生がこう話す。

「手が勝手に動く瞬間があります。あの瞬間を逃せられない。機械ではできないんです」

「なんか勝手にどんどん筆が滑っていく瞬間を待っていますので」

これを受けて、出久根先生が返す。

「憑くんです。何かが憑依する」

物書きではない人がこの会話を聞いたら、「オカルト?」と引いてしまうかもしれない。

でも私は、ああー、と思わず声が漏れそうになった。

私は「手書き」ではなく、もっぱらパソコンで原稿を書くのだが、「手が勝手に動く」、「何かが憑依する」というのはよくわかる。

本当に、何かが、天から降りてくる瞬間があるのだ。

自分の意思や思考を離れたところ、見えない力でどんどん文章ができあがる。

行間から光がほとばしるような感覚に包まれ、登場人物が自由に、所狭しと動き出す。

とはいえ、私はその瞬間を今まで3回しか体験していない。

最初は2002年、『結婚してから』(ポプラ社)という短編小説集に収録されている「ゴーゴーリレー」を書いたとき。

二度目は2007年、『小さな花が咲いた日』(ポプラ社)の「靴」という作品。

そして三度目は2015年、『ルポ 居所不明児童~消えた子どもたち』(筑摩書房)のプロローグだ。

三度のうち二度が「小説」というのは、おそらく自分で創作することに由来しているのだろう。

物語をどう展開するか、登場人物に何を語らせ、どこへ向かわせるか、すべては自分次第。

だからといって好きに書けるかと言えば決してそんなことはなく、むしろ骨格や構成、人物像など、実に多くのことを練りに練って考え抜かなくてはならない。

呻吟しながら書いては消し、書いては消す。

何ヵ月も費やした原稿を、すべて捨てざるを得ないときもある。

どうにもうまくいかずに、まさに天を仰ぎたいというギリギリの心境になったとき、ふっと何かが「憑く」のだ。

私の三度の経験など乏しいものにすぎないが、同じことが語られている冊子を目にして、とてもうれしかった。

物書きは、とことん孤独な作業の連続だから、「自分だけじゃない」という思いがやけに沁みてくる。

もうひとつ、林先生がこんなことをおっしゃっていた。

「体が変形するくらい書かないと、職業作家にはなれない」

これには前段があって、僭越ながら要約させていただこう。

村上春樹さんが『職業としての小説家』の中で、おもしろいことを言っているという。

職業作家は、ほかの分野の人が参入することに非常に好意的。

なぜそれほどウエルカムかと言えば、「こんな辛気臭い、密室の中で何時間も座るなどということをできるわけがないと思っているから」、とつづく。

これもまた、ああー、と声が漏れそうになった。

大先生方には到底及ばないまでも、私にも思い当たることがある。

「書く」という行為は、おそらく誰にでもできるのだ。

けれども、「書きつづけられる」かどうか、これはまた別の話。

さらに言えば、「書いてほしい」と言われることがつづくかどうか、こっちも全然違う話だ。

幸いにも「書いてほしい」と言われた私は、その合間、愛猫ミッキーと散歩する。

澄みきった空のもと降り注ぐ日差しを存分に受けると、疲れた心と、今にも「変形」しそうな体が癒される。

そうして、いつか天から降りてくる何かを待つために、明日もまた原稿と格闘しよう。