箱根駅伝に思うこと
お正月恒例のスポーツと言えば箱根駅伝。
例年、自宅のテレビで観戦してきたが、一度でいいからナマで見たい、と思っていた。
今年は息子が大学を卒業する節目の年。
重い教育費の負担とも、ようやくおサラバする年になりそうだ。
もっとも、肝心の息子は1年以上厳しい就活をつづけて、いまだ良い結果を得られず…。
折れそうな自分と闘っているのが、母の私にもヒシヒシと伝わってくる。
でも、苦しいときだからこそ若者たちの全力疾走を応援したい、と復路ゴール近くの日本橋に出かけてみた。
通過予定時刻の2時間前に到着。
息子の通う大学ののぼりを目にして近づくと、父母会の役員さんが応援用の旗を分けてくださった。
よぉし、気合入れて応援するぞっ! と早くも力が入る(笑)。
到着時にはまばらだった観客も、時間の経過とともに鈴なり状態に。
みなさん、携帯のワンセグやラジオで実況中継を確認しつつ、「おー、日体大が安定してるなぁ」とか、「この区間は東洋と駒沢の選手がいいんだよ」などと話をしている。
隣に立つ高齢の女性から、「今、どのあたりを走ってますか?」と声をかけられたり、うしろにいる男性が選手の名前を教えてくれたり、とっても和気あいあい。
ふだん、見ず知らずの他人同士が気軽に話せることってあまりないので、やっぱりこれもスポーツの力だろうか。
寒風の中、今か今かと待ちつづけると、交通規制がはじまった。
「間もなく選手が通過します」という先導車のアナウンスに、気分はますますヒートアップ。
応援の小旗が波のように振られる中、選手たちが続々と駆け抜けていく。
まっすぐ前を向いていたり、苦しそうに顔をゆがめていたり、並走する者同士の緊張感がピリピリと伝わってきたり、ナマならではの臨場感に胸が高鳴る。
最後尾を走る選手には一段と大きな声援や拍手が送られて、なんだか世の中、まだまだ捨てたもんじゃないなぁ~、と涙もろい私はジーンとした。
それにしても「走る」という行為はひたすらシンプルで、だからこそ人の琴線にふれるように思う。
雨や風、寒さや暑さなど自然の力に向かうのは、自分自身の体ひとつ。
とはいえ、駅伝は自分だけが強ければいいというものでもない。
一本のたすきをつなぐというチームとしての力が試される。
厳しい練習を積んできても、チーム内の走力や当日の体調によってはメンバーからはずれることもあるし、仮に盤石なスタートを切っても途中何が起きるかは未知数だ。
つまり、不確実なものに時間や気力や努力を精一杯注ぐことになる。
たくさんの人が箱根駅伝を応援するのは、若者たちのひたむきな力走もさることながら、そこに自分の人生を重ねているからではないだろうか。
少なくとも私は、あの晴れ舞台の陰にあるたくさんの汗や涙、葛藤を思って、つい自分の人生がオーバーラップする。
もちろん私など、選手たちの足元にも及ばない単純な人間なのだけど…。
観戦を終えて家に戻り、録画してあった復路を再生。
息子が「ナマで見たっていうのに、また見るのかよぉ~」とあきれた声を上げる。
だって、途中棄権や脱水症に負けずに走り続ける選手と、折れそうになりながらも就活つづけてるアンタが重なって見えるんだもん…、とこれは私の心の声。
若者たちの懸命さに力をもらって、さて私たち人生の先輩は、彼らにどんな希望や将来をお返しすることができるのだろうか。