金メダリストに会えた!

1年前の今頃、日本で何があったか?

周囲にそんな質問をすると、ほとんどの人が「コロナでしょ?」、「オミクロン株が流行ってましたね」などと答える。

確かにそうなのだが、実際にはめったにないビックイベントがあった。

東京オリンピック、そして東京パラリンピックだ。

無観客で行われ、ついでにオリンピックのほうは開会式も閉会式も「なんだかなぁ…??」というまったく心躍らない内容だったので、私自身、早くも記憶が薄れてしまっている。

一方、パラリンピックは同様に無観客でありながらも、趣向を凝らした開会式と閉会式をテレビ越しに楽しんだ。

なにより、選手たちの熱いパフォーマンスと、すばらしいアスリート魂に、連日感動の涙が流れた。

想像を絶するほどの努力と不屈の精神。

常人には到底まねできない高度な技術。

コーチやスタッフ、ともに競う仲間との友情。

それらが複合的に心を揺さぶって、私の涙腺は日々崩壊していたのだ。

さまざまな競技の選手を画面越しに応援したが、とりわけ気合いが入ったのが「ボッチャ」だった。

ボッチャとは、

ジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールに、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールを投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりして、いかに近づけるかを競います

(日本ボッチャ協会公式ホームページより引用)
https://japan-boccia.com/

とされる競技。

文字だとイメージしにくいが、氷上のスポーツであるカーリングに似ていて、最終的には目標球にもっとも近い位置にボールを寄せた選手に得点が入る。

一見すると簡単そうに思えるかもしれないが、自分の球が思い通りの位置にいくか、あるいは相手がどこに球を置くのかなど、そのときの展開次第で頭脳と技術の両方が必要になる。

前述したカーリングの試合を見ていると、「なんで、そんな場所にストーンを置くんだろう?」とか、「せっかく置いたストーンを、わざわざはじいちゃうなんてどうして?」とか、素人にはわからない展開があるが、ボッチャもまさにそうなのだ。

選手の投げるボールが目標球から離れて落ち、「あー、失敗してる!」とガッカリすると、あとになって相手選手の投げるボールの進路妨害のために考えられた作戦だったことがわかったり。

目標球に近い位置に置かれた自分のボールを守るために、さまざまな技術を駆使して緻密に試合を進めていくのは、まさに頭脳プレイと言っていい。

そのボッチャで、東京パラリンピックの個人金メダル、団体銅メダルに輝いたのが、杉村英孝選手だ。

私が杉村選手を知ったのは、東京の前のリオデジャネイロ大会。

郷里である静岡県伊東市在住とのことで、地元の新聞に大きく取り上げられていたのがきっかけだ。

伊東市在住というだけでも驚いたが、杉村選手の自宅は私の実家の目と鼻の先。

おまけに勤務先である伊豆介護センターは、私の父がお世話になっている介護事業所だった。

おくまでも勝手な思い込みなのだが、まるで「故郷の友人」が活躍しているような気がして、以来、私は杉村選手の「隠れ推し活」をしていた。

東京パラリンピック後には、父の担当のケアマネさんを通じてお祝いの手紙と粗品を送り、杉村選手から返信もいただいた。

「後援会」にも入会して、気分はすっかり熱烈ファンだったのだが、なにしろ金メダリストだから雲の上の存在とも感じていた。

実際、東京パラリンピック後の杉村選手は、天皇、皇后両陛下をはじめとする多くの方から祝福や激励を受け、次のパリ大会に向けて国内外へ遠征するなど多忙なご様子。

私は遠くから「隠れ推し活」をするだけだったが、思いがけず杉村選手とお目にかかれる機会をいただけた。

当日、ドキドキしながら杉村選手の勤務先である伊豆介護センターに出向くと、他の社員と同様、オフィス内でパソコンに向かう姿があった。

父の担当ケアマネさんと、秘書役の社員さんが私の来訪を告げると、杉村選手が一緒に写真を撮ってくれるという。

めったなことで動じない私だが、生身の杉村選手を前にして「上がって」しまい、あわわわ、とうまく話すこともできない。

それでも杉村選手は、「いつも応援ありがとうございます」と優しく笑いかけてくれ、記念のツーショットを残すことができた。

寡黙で謙虚なお人柄のようだったが、それがかえって「世界の頂点」に立った人ならではの芯の強さを感じさせた。

私など、いい年をしてつい自分を大きく見せようと虚勢を張りがちだが、一流の人というのは、やっぱり「能ある鷹は爪を隠す」なんだと、あらためて我が身を反省した。

早くも2年後には、パリでオリンピックとパラリンピックが開かれる。

コロナの感染拡大、ウクライナとロシアの戦争、食料やエネルギー危機、地球温暖化などと、さまざまな問題が山積する世界情勢だが、ひたむきな努力を重ねる選手のみなさんから、「希望」を見出したいと思う。