思い出のカラー

あちこちと花屋さんをまわって、ようやくカラーの花を見つけたとき、「ああ…」と小さな声が漏れそうになった。
まっすぐに伸びる太い茎。
力強さを感じさせる純白のフォルム。
それは、あのころに見たカラーの群生とそっくりだった。
私は3月からほとんどの仕事をお休みし、静岡県伊東市の実家に滞在していた。
一人暮らしをしていた父の「看取り」をするためだ。
5月8日の未明、父は住み慣れた自宅で、私と私の次男に見守られながら息を引き取った。
そこに至る経緯、さまざまな出来事、父の思いや私の苦悩は、あらためてなんらかの形で、おそらくは書籍にして発信していこうと思う。
今の時点で言えるのは、「家で最期を迎える」とか、「安らかな死」とか、世の中の「理想」とされる在宅死の陰には、相応の現実や課題があるということだ。
コロナ禍で、多くの病院や介護施設が「面会禁止」となっている。
病院に入院したり、介護施設に入所したりすればもうそれっきり、死ぬまで家族に会えないというケースも珍しくない。
実際、私の周囲でも、「亡くなりました」という病院からの電話で親の死を知ったと話す人たちがいる。
一部の介護施設ではオンライン面会が取り入れられているが、画面越しに見る親の様子があきらかに衰えて、「全然話が通じない」、「見るに堪えない」、そんなふうに嘆く人もいる。
そういう社会状況の中で、在宅死や在宅看取りはますます需要が高まっていくだろう。
そして父と私も、その選択をした。
それでも、繰り返しになるが、そこには知られざる問題や課題がたくさんある。
「住み慣れた家で最期まで」という選択が、必ずしも理想的ではないとも感じている。
そんな複雑さを抱えながら、通夜、告別式と慌ただしい時間を過ごした。
葬儀から2週間が経ち、あれこれと残務処理をしながらも、少しずつ仕事を再開したところだ。
一方で、張り詰めていた糸が切れ、父を失った悲しみや父との思い出がふと沸き起こる。
日常の些細なやりとり、生活のひとこま、そんな思い出の中でも色鮮やかなのは、生前の父が熱心に行っていた畑仕事にまつわるものだ。
小学校の教員だった父は、退職後に200坪ほどの畑を購入した。
山の中腹、雑木林に囲まれた畑からは青い海が見え、伊豆らしくミカンやユズの木が植えられていた。
12年前に母を亡くした父は、一人暮らしの寂しさをまぎわらすかのように、毎日、早朝から畑に出向いていた。
トマト、ナス、キュウリ、そら豆、ジャガイモ、サツマイモ、大根。
季節ごとに収穫される野菜は食べきれないほどで、おまけにしばしば畑に出没するイノシシやハクビシンに食い荒らされてしまう。
「俺の畑は、イノシシのために作ってるようなもんだ」
困ったように笑う父に、私はいつもこう言った。
「でも、カラーがあるからいいじゃない」
父の畑は電気も水道も通っていなかったが、幸い、小さな沢が流れていた。
その沢に、数百本はあろうかというカラーの花が群生していたのだ。
父が植えたわけではなく、おそらくは前の持ち主が畑を手放す際にそのままにしたのだろう。
カラーには「湿地性」と「畑地性」の2種類があり、前者は川辺などの湿地を好む。
父の畑に群生していたカラーはこのタイプで、温暖な伊豆の気候と沢のお陰か、特に手入れもしないのに毎年すばらしい花を咲かせていた。
カラーの季節になると、父は畑から採ってきた花を母の仏前に備え、ご近所さんや友人にせっせとおすそ分けしていた。
どなたも大変喜んでくださり、父は「ナスやキュウリを持っていくより、カラーのほうが断然人気だ」と、これまた苦笑していた。
あるとき私は、我が家の庭にカラーを植えたくなった。
父に話すと、「俺が株ごと持って行ってやる」と言う。
ほどなく父は、3時間半も電車を乗り継いで大きなカラーを株ごと持ってきてくれた。
新聞紙やビニールシートにくるまれたカラーの花や葉、株は、特大のスポーツバッグほどの大きさだった。
父は大汗をかき、ふぅふぅと息を吐きながらも、大変だったなどとはひとことも言わずに、ニコニコと我が家の庭先まで運んでくれた。
我が家の庭に植え付けたカラーの水やりは欠かさなかったが、残念ながらしばらくすると枯れてしまった。
環境の変化にした耐えられなかったのか、翌年も、その翌年も葉が出ることはなく、父にも、カラーにも申し訳ないことをしたと後悔した。
それでも父の畑に行けば、またあの群生を見ることができると思っていたが、数年前のある日の電話越し、思わぬ言葉が返ってきた。
「カラーが全滅しちゃったよ」
驚いてことの成り行きを尋ねると、父は「イノシシの仕業だ。株ごと、全部掘り起こされて全滅だ」と言う。
それまで、畑の作物を荒らされても鷹揚に構えていた父が、このときばかりは心底くやしそうに、深くため息をついた。
亡くなる1週間ほど前から、父はカラーのことを何度も口にしていた。
「そろそろ、カラーが咲くころだなぁ」
「イノシシにやられちゃって。残念だったなぁ」
「でもまぁ、イノシシだって生きていかなくちゃならないんだから。しょうがないよなぁ」
私が畑に行って、またカラーの花を植えようか?
そう言うと、父はうれしそうに笑いながらも、小さく首を振った。
「山道だから、おまえには危ないよ。ケガでもしたら大変だ」
「いいさ、いいさ、カラーがなくたって、いいんだよ。おまえがケガしないことが一番だ」
そんなふうに優しかった父を見送り、父娘で撮った最後の写真とともに、花屋さんで買ったカラーの花を飾った。
カラーの思い出に、父とのたくさんの思い出が重なる。
亡くなった人は、生きている人の心の中で生きつづけると言われるが、純白のカラーを前にして、しみじみとそう思う。