すごいものを読んだ
私は子どものころから読書が好きだった。
おとなになって、「読む」だけでなく「書く」という立場を得て、自分自身が誰かに読書の機会を与えている。
どうにも恐れ多いが、出版界は相変わらずの厳しさだ。自分も含め、景気のいい話は全然聞かない。
テレビに映画、ネット動画やスマホゲーム、それにWebニュースといろんなコンテンツが目白押しの今。
もう本の世界はダメなのかなぁ…、とへこんでしまうこともある。
そんな中、ものすごい作品に出会い、あらためて読書の力を思い知らされている。
『私は魔境に生きた~終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年』・島田覚夫著というものだ。
ちなみに、紙の本ではなく電子書籍となっていて私はキンドルで読んだ。
紙の本に携わる人間としてはちょっと複雑な部分もあるけれど、逆に電子書籍化されていなければ出会えなかっただろう。
そう考えると、キンドルのありがたさを痛感する。
さてこの作品、タイトルからもわかるように「戦後、終戦を知らないままニューギニアの奥地に生きた残留兵」の話だ。
いわゆる「残留日本兵」というと、ルバング島に29年間潜伏していた小野田寛郎さん、グアム島で27年間を過ごした横井庄一さんが有名だろう。
お二人の「帰還」は当時大々的に報道され、その後も折に触れてマスコミに取り上げられてきた。
第二次世界大戦終了後、何十年も「戦中」にいた方々のご苦労やお気持ちは、なんとなくわかった気でいたが、とんでもなかった。
『私は魔境に生きた』を読むと、どんな形容詞も及ばないくらいのすさまじい生き様が伝わり、心を掻きむしられる。
読み手の私は、今までに経験したことのないくらい動揺しながら読み進めたが、一方、著者である島田さんの筆致は冷静かつ穏やかだ。
日々の生活ぶりを子細に述べ、押し寄せる感情を自己分析し、なにより悲惨極まりない状況を淡々とつづられている。
内容もすごいのだが、執筆された島田さんの人間性がすばらしくて、これこそ真の「名著」だと思う。
その島田さんは作家などではなく、市井の一市民。
本書を書いた理由として、「異郷の地に倒れた戦友やその遺族」に対する思いからだと述べられている。
帰国後3年目(昭和33年)に本書を書かれたようだが、実際に世に出されたのは戦後30年を過ぎたころ。
これほどの名著になかなか日が当たらず、島田さんの存在が長く知られなかったことは、残念というほかない。
…で、その内容はなんなのよ? とツッコミたい人もいると思うので、簡単にまとめてみよう。
島田さんは戦中、航空軍の兵士としてニューギニアに派遣されるが、現地は惨憺たる状況だった。
あの戦争で亡くなった兵士たちは、多くが「戦闘ではなく飢餓や病気によるもの」というのは周知の事実だが、何の支援も補給もない状況がリアルに描かれている。
島田さんは仲間とともに「敗走」しながら、それでも「友軍(日本軍=味方)」が再び戦力を増強することを信じて一旦ジャングルの奥で「待機」する。
あくまでも作戦の一環として、要は体勢を立て直して「戦闘準備」を試みるのだ。
けれども、食べ物も着るものも、生活用品や医薬品も一切ない険しい山奥。
このあたりの悲惨さは、ここで述べずともおおよその想像がつくだろう。
その後、島田さんは17人の仲間とともにニューギニア奥地で潜伏生活をはじめる。
とはいえ、悲惨な状態は一向に変わることなく、一人死に、二人死に…、と次々仲間を失ってしまう。
苦しみもがく仲間を前に、薬どころか食べさせるものもない。
ただ励ますしかない、という極限の絶望は、平和な時代を生きる私たちには到底思い及ばないだろう。
途中、島田さんたちがジャングルの中で「子犬」を見つける場面がある。
自分たちが食べることさえままならない状況なのに、彼らは乏しい食料を与え、「白」という名前をつけて心からかわいがる。
そうやって愛した子犬だが、結果的にやむなく命を奪うことになる。それは「潜伏生活」という事情に絡んでくるのだが、このくだりは読むほうもつらい。
こんなふうに次々困難に見舞われ、絶望へと突き落とされていく日々が、克明に描かれている。
けれども絶望だけなら、島田さんが生きて帰れることはなかったわけで、10年の壮絶な日々ののち帰国を果たせたのは、当然「生きるための闘い」があったからだ。
食料を得る、そのことひとつ取っても、ありとあらゆる工夫や努力を重ねていくのだが、そのすさまじいリアリティが胸に迫ってくる。
最終的に生き残ったのは、島田さんを含めて4人。
島田さんは本書の中で「畜生にも劣る苦しい生活に耐え、心の葛藤と闘いながら月日は流れた」と書かれているが、だからといって人としての精神性はまったく失っていない。
人はここまで強く、そして誠実に生きられるものなのか…、と胸の奥が熱くなる。
島田さんたち4人は、道具もない中で農園を作り、作物を収穫し、「自給自足」の月日を送る。
「敵(アメリカ軍)に見つからないように」と最新の注意を払って潜伏するのだが、7年目に現地の住民(原住民)に偶然出会ってしまう。
だが、ここからがまたすごい。原住民のコミュニティに参加し、彼らの言葉を覚え、狩りの方法を教えてもらったりする。
物々交換をしたり、一緒に食事をしたりして、「助け合う仲間」となっていく。
…と書き続けると全部バラしてしまいそうなのでここまでにするが、とにかく「ものすごい」というのが率直な感想だ。
よく「一冊の本が人生を変える」というけれど、まさにその一冊にふさわしい。
少なくとも私は、間違いなくこの本を「My Best Book」にエントリーするし、ぜひ多くの方に読んでいただきたい。
「反戦」とか「恒久平和」とか、声高に叫ぶことも大切には違いないが、こうした作品を通じて一人一人の心に「戦争の真実」を刻むこともより大事だと思う。
読書っていいな、とあらためて実感する。
そうしてできるならば私も誠実な作品を、誰かの心に残るものを書いていきたい、そんな決意が湧いてくる。