わかりやすく書く
NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」を見ている。
普段は時間に追われて連続ドラマなど見ないのだが、今回ばかりは私が働く出版業界が舞台になっているので、どこかしら自分を投影してしまう。
とと姉ちゃんこと主人公の常子さんは、『あなたの暮し出版』の社長で、『あなたの暮し』という生活総合雑誌を出している。
編集長は花山さん、個性的かつ独創的な方だ。
ご存知の方も多いだろうが、これは『暮しの手帖』という実際の雑誌がモデルになっている。
そのため、主人公の常子さんは、『暮しの手帖社』の大橋鎭子さん、そして花山編集長は天才編集者と呼ばれた花森安治さんをモチーフとして描かれている。
『暮しの手帖』は、私の子ども時代、我が家の茶の間に何冊も積まれていた。
今は亡き母が愛読していたからだ。
母は洋裁が得意な人で、子どもだった私の洋服はほとんど母の手作りだった。
料理も上手で、当時はまだ珍しかったマカロニグラタンやポークソテーを作ってくれたりもした。
そんな懐かしい思い出がよみがえる一方で、雑誌を出す出版社の様子が、今の私にはひしひしと胸に迫ってくる。
ドラマなのだから当然脚色され、現実とは一線を画す部分もあるわけだが、それらを差し引いても響くセリフがいくつもある。
特に花山編集長のこの言葉。
「わかりやすく書きなさい」は、私自身が何度となく現場で体感してきたことだ。
文章を書くとき、人はつい「自分目線」になりがちだ。
私の書きたいこと、私の思い、私が好きな表現、私の見たもの、感じたもの…。
こうした思いが前面に出ると、結局は自分に酔い、自分本位の文章ができあがってしまう。
美辞麗句を並べたり、難解な表現にこだわったり、逆にあまりに簡潔すぎて必要な情報が入っていなかったりと、要は「わかりにくい文章」になる。
素人の方はそれでもいいが、私たちプロはそうはいかない。
いかに読者にわかりやすく伝えるか、それを第一に、そして徹底的に考える。
いつ、誰が、何を、なぜ、どんなふうに、どうなったという、いわゆる「5W1H」は基本中の基本だが、それさえあればいいというものでもない。
説明しすぎるとかえってわかりにくくなるし、なにより読者に対して、「好きなように読んでいただく」という自由度がなくなるからだ。
今まで、何十人もの編集者にお世話になってきた。
そんな中でも忘れられない思い出がある。
私がはじめて小説を書いたときの担当編集者だ。
文中、主人公の小学生の男の子がランドセルを背負ったまま走るという場面を書いた。
そこで私は、「〇〇のランドセルがカタカタ音を立てた」と表現した。
ランドセルの中に入っている筆箱やハーモニカが、走るたびに「カタカタ」鳴るわけだ。
ところが編集者から、「石川さん、ここの場面、カタカタっていう言葉を使わないでください」と言われた。
理由を尋ねると、
「カタカタって書いたら、読者にはカタカタという音しか聞こえない。
すると、読者の自由度が奪われる。
カタカタという擬音語を使わずに、そういう音がいかにも聞こえてくるような別の表現で、この場面を描いてください」
と言う。
「書くではなく、描く、ですよ」と。
そのとき、自分がいかに未熟だったか思い知らされた。
読者にとってわかりやすく、かつ読み手が自分の好きなように解釈できる文章の幅、的確な表現、自然な描写、そうしたものを作り上げるむずかしさを痛感した。
あれからそれなりに経験を積んで、今も私は出版業界の片隅に身を置いている。
さまざまな編集者、ライター仲間、そして偉大な先輩方から学び、励まされ、自分を顧みてきた。
写真は、文藝春秋社の1階、「サロン」と呼ばれるスペースだ。
一見どこかの高級ホテルのロビーのようだが、ここで編集者との打ち合わせが行われる。
文藝春秋社を創業した菊池寛氏の銅像が重厚な雰囲気を漂わせ、さりげない調度品にも歴史の重みを感じさせる。
最近何かと話題の「センテンススプリング」こと週刊文春や、書籍の企画の打ち合わせで伺っているが、何度足を踏み入れても緊張する。
尊敬してやまない先輩方が、この空間でどんな話をされていたのか、どういう作品の構想を練ったのか、想像するだけで背すじが伸びる。
「わかりやすく書く」ために膨大な取材をこなし、山のような資料を紐解き、1文字1文字を積み重ねてこられた先人の努力を思うと、あらためて特別な空間に感じられるのだ。
ここでは、受付の女性が飲み物を運んできてくれる。
「コーヒー、紅茶、日本茶」のどれかを選べる仕組みだ。
ちなみに喫茶店ではなく、あくまでもサービスという位置づけ。一般の会社が来客にお茶を出すのと一緒だ。
アイスコーヒーをお願いして、上階の編集部から降りてくる編集者を待つ。
折しも、朝ドラのとと姉ちゃんでは「商品試験」(実際は商品テスト)なる企画がはじまった。
「この企画は当たるぞー!」と声を張り上げる編集長と、目をキラキラさせながらアイディアを出す編集部の人たち。
ああ、この感覚わかる、とつくづく思う。
わくわく、ドキドキ、やるぞーっと力が湧いてくる瞬間が、この仕事にはある。
編集者と力を合わせて、私もまた新しい企画に取り掛かる。