「あなた」と「私」を使ってみる
この数年、子どもに関わる人、たとえば教育や保育関係者、民生児童委員さんや人権擁護委員さんなどの前でお話をする機会がとても多い。
いわゆる講演会、研修会というものだ。
5月には、札幌市の児童会館職員の方を対象に、計3回の研修会を行った。
私個人の力で語れる話など、たいしたものではない。
たまたま「取材」という形で子どもたちのなまの声を聞き、たくさんの家族模様を見てきたから、そこで得たこと、気づいたことをそのままお伝えしている。
今までの取材で、何十人もの子どもから「死にたい」という声を聞かされた。
はっきりと口にしないまでも、似たような気持ちを抱えている子は、その何倍もいたかもしれない。
親に殴られるとか、学校でいじめに遭っているとか、自分のことが嫌いで生きている価値がないとか、一人ひとり「死にたい理由」は違う。
つらさや苦しさ、みじめさ、絶望の度合いもそれぞれ違う。
私はカウンセラーや支援の専門家ではないので、彼らの「死にたい」気持ちに適切なアドバイスはできない。
そのぶん、「事実」や「経緯」についての話を聞く。
誰が、なぜ、何を、どうして、どうなった、そういう話を聞くのが取材だからだ。
たとえば、「あなたの、死にたいという気持ちを、近くのおとなに打ち明けたり、相談してみましたか?」と聞いてみる。
すると、少なからず「はい」と返ってくる。
「学校の先生に言った」
「子どもの悩み相談ダイヤルに電話した」
「学童(保育)の先生に話を聞いてもらった」
なかには、「親に話した」という子もいる。
次に私は、「死にたいという気持ちを打ち明けたあと、相手の人は何と言ったかしら?」と聞く。
すると、たいていはこんな言葉が返ってくる。
「死ぬなんて考えちゃいけない、と説教されました」
「命は大切、生きていればいいことがあるからがんばりなさいって言われた」
「死ぬって言う人ほど死なないよ。気持ちを強く持って、つまらないことは考えないようにしなさい、そんな感じの話をされました」
「なるほど…」と返して、私はまた彼らに質問する。
「相談したおとなから、そういうことを言われて、あなたはどう思いましたか?」
ここで、「元気になりました!」なんて言う子は、残念ながらひとりもいない。
「いや、なんか全然自分の気持ちをわかってもらえなくて、もっと死にたくなりました」
そんなふうに声を落とし、失望を露わにする子どもがほとんどだ。
死にたい気持ちを打ち明けたら「もっと死にたくなった」――、この事実と経緯をもとに、私はさらに話を聞いていく。
「あなたがおとなに、死にたい気持ちを打ち明けたとき、相手の人にしてもらいたかったこと、言ってほしかった言葉はありますか?」
すると、子どもたちは言う。
「死ぬなんて考えちゃいけないとかって言う前に、なんで死にたいと思うの? そう聞いてほしかった」
死にたい理由は一人ひとり違う。絶望の度合いもそれぞれ違う。
まずは「あなたはなぜ死にたいと思うのか、そこを聞いてほしい」という子どもの声は、極めてまっとうなものだろう。
けれども一方のおとなは、つい上から目線で正論や抽象論を言ってしまう。
「死ぬなんて考えちゃいけない」、それは正論ではあるけれど、正論であるがゆえにもっと子どもを追い詰めかねない。
私は質問をつづける。
「死にたい気持ちや理由を相手の人に聞いてもらったとしたら、次にどんなことを言ってほしいかしら?」
こう尋ねると、子どもたちは切実に言う。
「そうか、つらいんだね。じゃあそのつらさがなくなるためにどんな方法があるか、一緒に考えてみない? そんなことを言ってもらいたい」
「いじめられているなら、学校なんか休んでもいいよとか。それで、学校休んでも、あなたにはこんな道があるし、こういう方法で勉強はつづけられるよとか。そういうふうに、励ましてほしかった」
彼らが求めているのは、「死にたい気持ちが消えるような言葉」と、もうひとつ「生きるための具体的な言葉」なのだと思う。
「死にたい」というのは、「死にたいほどつらいこと」があるからで、死にたいほどつらいことがなくなれば、「生きたい」のが彼らの気持ちだ。
そうであればおとなは、「死にたいほどつらいこと」がどうすればなくなるか、そのためにどんな方法があるか、ここを一緒に考えるべきではないだろうか。
偉そうに書いている私にも、「死にたい」気持ちに襲われた経験が何度かある。
そのときの私が、誰かから「命を大切に」と言われたとしても、「あっそう」と冷めた反応しか持てなかっただろう。
かつての私や、あるいは私に「死にたい」気持ちを話してくれた子どもたちの心に届くものがあるとしたら、それは「あなた」という言葉だ。
「命を大切に」ではなく、「あなたが大切だ」。
「死ぬなんて考えちゃいけない」ではなく、「あなたに死んでほしくない」。
「生きていればいいことがある」ではなく、「あなたに生きてほしい、その方法をあなたと一緒に考えたい」。
そして、できればここに、「私」という言葉も加えてほしい。
「私につらい話を聞かせてくれてありがとう。私はあなたと話せてよかったよ」
「あなたのつらい気持ちが少しでも軽くなるために、私にお手伝いできることはありますか?」
「私も死にたいと思ったこと、何度もありますよ。でも、どうにかこうにか生きてこれました。こんな私でもなんとかなったから、あなたにも生きる方法があるんじゃないかと思います。もしよかったら、私の経験とか思いを聞いてもらえますか」
社会に、組織に、学校に、家族に、どんな場面でも「あなた」と「私」という関係がある。
「死にたい」気持ちを抱える子どもたちは、「あなたが大切だ」、「私はあなたに生きてほしい」、そう言ってくれる人を求め、待っている。