母なるもの
新聞や雑誌向けに「エッセイ」を書く機会がある。
エッセイと言うと、日頃の雑事や風景、小さな出来事をもとに「サラサラ~っと書く」ようなイメージがあるけれど、実際にはとてもむずかしい。
まず、文字数が少ないというむずかしさ。600字とか800字とか、原稿用紙にしたら1~2枚程度のボリュームしかない。
書く量が少ないから楽、というモノじゃなく、むしろ逆。限られた枠の中で、いかに端的に言葉を紡ぐか、書き手の力量が問われる。
また、その媒体に沿ったテーマで書くというむずかしさもある。
たとえばJRの電車内に備え付けられる雑誌なら、「旅」とか「駅弁」、「車窓からの風景」というように、なにかしら関連づける内容になるわけだ。
読者対象を意識することも大事。ビジネスマンが仕事のヒントを得るために読むのか、若い女性が息抜きを兼ねて読むのか、それとも高齢の方がじっくり読むのか。
「誰が、どう読むのか」という点を意識して、その人の心に届くような内容を書く、ここがとてもむずかしい。
私の場合、わずか800字のエッセイを書くのに3日かかるなんてことはザラ。
書いては直し、また書いては直し、とうとうすべて消して最初から書くことも珍しくない。
そんなふうに悪戦苦闘するので、ようやく満足のいくものが書けたときにはホッとする。
おまけに、書き上げたエッセイは「すぐ読める」という利点がある。
ちょっと疲れたとき、気が向いたとき、かつて自分が書いたエッセイを取り出して読んでも5分とかからない。
今までいくつものエッセイを書いてきたけれど、個人的に特に好きなのは「何も言わず、ただそこに」というタイトルをつけたもの。
福音館書店の『母の友』という月刊誌、その巻頭エッセイだ。
ちなみに、2012年9月号に掲載されている。
このエッセイの中で、私の仕事机に置かれている目覚まし時計のことを書いた。高校合格のお祝いにと、今は亡き母が買ってくれたものだ。
目覚まし時計だから、もともとは「目覚まし用」として使っていたが、数年前にベルが壊れてしまった。
とはいえ、時針や秒針には何の問題もなく、仕事机の上で今も元気に活躍してくれている。
それにしても、なんと長いつきあいだろうか。
この時計とのつきあいの年月を書くと、私の現年齢がバレてしまうけれど(苦笑)、15歳で出会って以来もう38年になる。
その長い年月、電池切れを除けば、一秒たりとも休まずに動きつづける小さな時計は、いくつもの私の顔と向き合ってくれた。
目覚まし時計として使っていたころは、寝起きの顔はもちろんのこと、悶々と悩んで眠れない顔もずいぶんと知っている。
誰かを傷つけ、あるいは誰かに傷つけられ、苦しい寝返りを打ちながら枕元の時計に目をやる。
滑るように進む時計の針に、「置いてきぼり」をくらったような気になって、いっそう心細さが募ったものだ。
それでも朝が来ると、時計はいつもと同じようにベルを鳴らす。
まるで、「何事もなかったよ」と言うように、いつもと同じ音なのだ。
どんなときも変わらず、一瞬も休まず、律儀に務めを果たす時計に比べたら、私などちっぽけだな、そう思えた。
その、ちっぽけな自分を知ることで、不思議と気持ちが楽になり、また歩き出そうという力が湧いた。
ところで『母の友』に書いたエッセイは、当然ながら読者の大半は母親だ。
私もそのひとりだが、だからといって自分の母親ぶりをアピールなどしなかった。
それよりも、このエッセイに込めたものは、「母なるもの」の大きさと優しさだ。
38年前、小さな目覚まし時計を買ってくれた私の母はもういない。
家族の誰にも看取られず、ある日突然旅立ってしまい、私はその悲しみから立ち直ることができなかった。
けれども、母が買ってくれた小さな時計は、もしかしたら母そのものなのかもしれないと思う。
どんな自分を見せても、時計は何も言わず、ただそこにある。
一瞬も休まず、目の前の誰かのために、毎日健気に働きつづける。
母なるもの、その大きさと優しさが、小さな目覚まし時計に重なる。
長い年月、誰かを支え、見守り、いつもと同じようにただそこにある。
そんな母になりたいと思いながら、そして母である読者の心に少しでも届くものがあることを願いながら書いたエッセイ。
今もときどき取り出して読み、ちょっと泣いたりしている。
自分で書いたものなのに、まるで誰かに励まされているようで、なぜか涙があふれてしまう。