「愛されぬ子」がおとなになってから
2007年に『小さな花が咲いた日』(ポブラ社)という短編小説集を出版した。
この中にある「愛されぬ子」という短編は、翌年から7年連続で各地の県立高校、私立中学の入試問題として採用された。
以降も現在に至るまで、塾の教材や模擬試験の問題として使われているのだが、これほどまでに長く採用されるのには、この作品のテーマ性もあるように思う。
主人公は私立中学校の受験に失敗した少女だ。
「滑り止め」で受けた中学校に通っているが、2歳年下の弟は「難関」とされる私立中学の受験間近。
弟は少女と比べて優秀、しかも母親から溺愛されている。
何かにつけて弟と比較され、邪険にされてきた少女は「もっと母に愛されたい」と願うが、その切実な思いはなかなか届かない。
そんなある日、母が急な用事で留守をする。受験を控え、神経質になっている弟の世話をするよう命じられた少女だが、そこで思わぬアクシデントに見舞われる―――。
…とまぁ、こんなあらすじなのだが、中学受験や姉弟の関係性、母親と子どもの感情の行き違いなどは、中学生や中学受験を控えた小学生の心情に重なる部分もあるだろう。
国語の試験問題では文章の一部に傍線が引かれ、「傍線部分で、少女はなぜこう思ったのか、その理由を100文字以内で述べなさい」といった問題が出題される。
その心情を想像したり、作者の意図するものを読み解くのに、彼らはピッタリの年代とも言えるだろう。
いずれにせよ、自分の著したものが長年多くの子どもの元に届けられているのは大きな喜びだが、一方でこの作品には私自身の「愛されぬ」、あるいは「満たされぬ」思いが反映されてもいる。
主人公が私と同じというのではない。
あくまでも作品のベースとして自分の思いをわずかに投影しただけだが、私自身も「もっと愛されたい」という思いを長く引きずってきた。
両親は愛情深く、また尊敬できる人たちだったが、私と4歳年上の兄との間には歴然とした「差」をつけていた。
昭和の時代には珍しくないことだろうが、男尊女卑のような意識が強く、何かにつけて長男(兄)重視が当然視される。
些細なことだと笑われるかもしれないが、たとえば兄はいつも新品、私はお古やお下がりだ。
兄が電動の鉛筆削りを買ってもらうと、私のほうはそれまで兄が使っていた手動の鉛筆削りが与えられる。
「ほら、お兄ちゃんが使わなくなったから、アンタが使いなさい」、そんな親の言葉に他意はなく、単に「もったいない」とか、「モノを大切にする」という教育の一環だったと思う。
けれども子どもというのは案外敏感で、小さな差が積もり積もって大きな悲しみになったりする。
小学校高学年のとき、兄が使わなくなった教材用の裁縫箱を持たされて学校へ行った。
その裁縫箱は男の子用のブルー、同級生の女の子たちはみんなピンクで、私のものだけ浮いている。
早速、いじわるな男子の集団に「おとこおんなー」と嘲笑された。
新品の裁縫箱を持つ同級生たちは針も糸もハサミもピカピカだが、私は「お古」だから欠けた道具があったりする。
授業の際、布の長さを測るメジャーが見当たらず困っていると、私の傍らにきた先生がボソリと言った。
「お金がないわけじゃないのに、なんでみんなと一緒のものを買わないのかねぇ? 」
いかにもバカにしたように口調の先生に何の反論もできず、ただオロオロして、言いようのない惨めさに包まれたことを何十年も経った今でも鮮明に覚えている。
当時、私の父は別の小学校で教師をしていた。
先生にすれば「同じ教職の親がいるのに、なぜ子どもの教材を買わないのか」という思いと、実際「お金がないわけじゃない」のだからと、つい本音が出てしまったのだろう。
こんな出来事が、数えきれないほどあった。
物質的な差だけでなく、そもそも親の見る目や態度が違うことも多かった。
活動的で人気者だった兄は若かりしころ、スキーやダイビング、ゴルフ、麻雀、旅行などを存分に楽しんでいた。
母は「お兄ちゃんにお金をタカられて困るわ」と私に愚痴り、ひとしきり家計の厳しさを訴えたりする。
そうして親の愚痴を聞かされるこちらのほうは、「だったら、私はお金を使えないな」とか、「私は親に苦労をかけてはいけない」とか、そんなふうに思い込んでしまう。
我慢しろ、と表立って言われなくても親の空気を読んでつい自分を抑え込むのだが、我慢そのものより、そういう心情を汲んでもらえないことは意外とつらい。
両親は兄の行状に不満を漏らしながらも、一方で「あの子はスキーやダイビング、いろんなことをやってスゴイ」、「友達が多くて偉いヤツだ」などと目を細める。
えっ? あの愚痴と不満はどこへいったの? という感じだが、こういうときの娘は「貧乏くじを引く存在」だ。
体よく使われるわりには報われず、さほどの感謝もされず、何をやろうとあたりまえのように低く見られたりする。
まぁ私に限ったことではなく、兄や弟といった男兄弟のいる女性には、おそらく思い当たることがあるだろう。
そんな心情をベースに「愛されぬ子」を書いてから、12年が過ぎた。
そのぶん私も年を重ね、過ぎた時間とともに自分を取り巻く生活や感情は変わっていった。
母は10年前に亡くなり、実家で一人暮らしをする父は介護認定を受けている。
老いのストレスを抱える父を支え、時間をやりくりしては実家へ通っているのだが、故郷の景色に触れるとつい昔を思い出す。
今となっては仕方ないと受け止めるものは多いし、笑って右から左に流せるくらい強くもなった。
それでもふとした折に、満たされなかった過去の思いが、さざ波のように心を泡立たせる。
戻りようのない少女のころの寂しさは、いつになったら消えるのだろう。
つい誰かを妬んだりするような狭い心と、あとどれくらいで決別できるのだろう。
故郷の川と空を見つめながらぼんやりと考えて、また父の世話に明け暮れている。