「家族の問題」は、「みんなの問題」

「家族の問題」は、「みんなの問題」

長く家族をテーマに取材しているせいか、新聞社やテレビ局から「識者コメント」のオフォーが寄せられる。

家庭内の暴力、親子間の事件、児童虐待などが起きたとき、「この問題の原因は何なのか、背景には何があるのか、語っていただきましょう」みたいな流れで、私の出番がやってくる。

そういう場での私は「家族問題の専門家」になるのかもしれないが、ここ数ヵ月、あらためて家族という形態や家族間の義務について考えさせられることがつづいた。

きっかけのひとつは、実家で一人暮らしをしていた父の突然の入院だ。

87歳の父は自立心が強く、なんでも自分でやらないと気が済まないタイプ。

いい面もたくさんあるのだが、一方では無茶をして周囲をハラハラさせることも少なくない。

今回はその無茶が「転倒事故」という形になり、大腿骨骨折で救急搬送されることになった。

報せを受けて取るものもとりあえず駆けつけた私は、「手術の同意書」、「入院保証書」、「身元引受人」、「身体拘束に関する説明書」といったたくさんの書類にサインを求められた。

そうした書類にはもれなく「続柄」という文字があり、要は「長女」とか「長男」とか「妻」とか、当人とどういう関係なのかを記入しなくてはならない。

ここでまず疑問なのは、「家族がいない人はどうすりゃいいの?」というもの。

単身家庭や身内と疎遠になる人も多いこの国で、なんでも家族が責任を負う、家族がいなければ先に進まないというのはいったいどうしたことだろう。

次に直面したのが、家族の協力がないと入院生活もままならないという現実だ。

病院は完全看護だが、いくら「完全」といったところでそれはあくまでも医療に関する部分のみ。

実際の入院生活では、「生活」という部分がカバーしきれない。

たとえば父の場合、ベッドの上で寝たきりだろうとヒゲも伸びれば爪や髪も伸びる。

院内着やタオルなどは有料のレンタルがあるが、ヒゲ剃りや爪切りは誰かが買ってこなくてはならない。

ちなみに院内着をレンタルしない場合は、自分の責任でパジャマや下着を洗濯するというのだが、動けない患者ではもちろん無理な話だ。

結局、ここでも家族の協力が必要になってしまう。

食事をすれば爪楊枝がほしい、歯磨きもしたい、じゃあそれはどうするか?

ベッド脇に備え付けのテレビを見るには1枚1000円のテレビカードを「病院内の売店で買う」という決まりだが、これも動けない人はどうしたらいい?

看護師さんからは「水分補給」の重要性を説明され、「ペットボトル飲料をたくさん飲んでください」と言われた。

けれどもその飲料は、廊下の隅の自動販売機や売店でなければ購入できず、またまた動けない人はどうすればいいのかという話になってくる。

自分の力でできない人は、どうしたって誰かの助けが必要になるわけだが、その「誰か」とはなんだかんだと家族が想定されている。

家族がいない人、いても頼れない人は、いったい誰から助けてもらえばいいのだろうか。

病院内での「家族ありき」の現実にも考えさせられたが、もうひとつ父の生活を支えるのも家族前提という状況があった。

たとえば今回、父は近くの外出先でケガをしてそのまま入院となった。

いわば着の身着のまま、お金もほとんど持っておらず、自宅の窓は開けっぱなし。

私は合鍵で父の家に入れたが、コトはこれだけで済まない。

郵便は誰が受け取る? 自宅に来る集金は誰が払う? 入院中に必要なお金や治療費の支払いは誰がする?

細かい話で言えば、ゴミ捨てに冷蔵庫の食材の整理、植木の水やり、留守番電話にメッセージを残した人への対応、そんなふうに次々と「家族の協力」が必要になってくる。

…とそんなこんなで、父の世話をするため毎週新幹線で帰省しては泊まり込みで用事をこなし、合間になんとか仕事を進めていた。

とはいえ、かろうじて、最低限の仕事をこなしているというのが実情で、関係先にはたくさん迷惑をかけている。

フリーランスの私はある程度は自分で時間調整もできるが、この数ヵ月は肉体的にも精神的にもかなりつらいものがある。

家族の問題は家族が負うのが当然、こういう前提で作られた社会システムの問題を、身をもって感じている最中だ。

バタバタと駆け回る中、テレビ局から出演オファーが来た。

家庭内の事件を扱う特集だったが、「こんなとき、家族はどうすればいいのでしょうか?」とか、「同じような状況にあるご家族の方にアドバイスを…」といったコメントを求められる。

私は「仕事用の顔」で応えながら、結局のところ家族の問題はみんなの問題なんだよなぁ、そうつくづく考えていた。

父の突然の入院で私が困惑した数々は、たくさんの人にとっても同じ問題になるだろう。

みんなはいったいどうしているのか? それが知りたくて、悩みを共有したくてならない。

奇しくも今、「介護」をテーマにした本を書いている。

取材先の人から、「みなさんはどうされているんでしょうか?」という言葉を聞くたびに、やっぱり家族の問題はみんなの問題だよね、と深く、切実に思っている。