やっと脱稿しましたが…。

新刊用の原稿をやっと書き上げた。というより、直し終えた。

いったい何百枚分の書き直しをしたかわからない。

それくらい、書いては捨て、また書いては捨て、いい加減何をどう書けばいいのかわからなくなって、パソコンの前で固まっていた…。

この原稿に取り組みはじめたのは昨年の9月。取材と並行しながら書いて、当初はスムーズだな、と(あくまでも自分が)思っていた。

ところが最初の50ページくらいを読んだ編集者から「おもしろくないですね」のひとこと…。

ガーン。

こう見えて小心者の私は、編集者の厳しい言葉にすぐメゲる。

でも一応プロの端くれだから、落ち込んだまま書くのをやめるというわけにはいかない。

すぐに別の形で書きはじめるが、書いているうちに「これでいいのかな?」、「やっぱりダメだよね」と自問自答がはじまる。

取材のほうも、進めるうちに方向性がわからなくなってしまった。

今度の本のテーマは「児童虐待」だ。

重い現実を追う以上、自分の中で一貫したポリシーを持っていたいのだが、取材を広げると真逆の声や矛盾する現象に突き当たる。

多様な形で集まった情報をどう取捨選択するか、そして自分は「何を書きたいのか」を整理する作業に明け暮れ、原稿はなおさら進まない。

当初、約束していた入稿(原稿を出版社に送ること)予定をはるかに過ぎて、それでも第一章のあたりでモタモタしていた。

もっとも、実質的に書いていた原稿の枚数は、第一章分どころか本にすれば二冊分くらいあった。

要するに、残った分より捨てた分のほうがはるかに多い。

最初にも書いたように、書き直すためには、前に書いた原稿を「捨てる」のだ。

せっかくの原稿を、自分なりには一生懸命取り組んだものを捨てるのは、これはこれでしんどい。

もちろん出来が悪くて捨てるのだから責任は自分にあるのだが、やっぱり心の底では結構くじけてしまう。

そうした諸々をなんとか乗り越えて、毎日文章と、そして弱い自分と格闘し、ようやく編集者から「実にいい作品です。ありがとうございます」というお言葉をいただいた。

ああよかった。これでようやく熟睡できる、と思ったのも束の間だった。

知人の編集者たちから、「出版業界、大変な状況ですよ」とメールが届くようになったのだ。

大震災の影響で、用紙とインクが調達できなくなっているのだという。

もちろん市場の不透明性は言うまでもない。

大手出版社の書籍編集者が、「資材部が必死に紙の確保に走ってるけど、相当厳しい。うちの社でも新刊の発売を延期せざるを得ないかもしれない」とメールをくれた。

大手でそうなら、中小の出版社はどうなるのだろう。

なんとか脱稿して、さぁこれから刊行に向けてもうひとがんばり、と思っていたけれど、果たして本は出せるのだろうか。

一度、編集者ときちんと打ち合わせをしなくては、と思いつつ、この状況下では先行きが見えない。
暗い気持ちになりそうだけど一歩外へと出れば、菜の花、アネモネ、クロッカス、木連、つぼみのふくらんだ桜、花々は確かに春を告げている。

色鮮やかな花を見ていたら、本は出る、いや絶対に出す、そんな力が湧いてきた。