その人の言葉だから

実家の父を伴い、仙台に住む兄に会いに行った。

兄は7年前に難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症、5年前には人工呼吸器をつけた。

今年の春まで、フジテレビで放映されていたドラマ『僕のいた時間』は、主人公の青年がALSになるストーリーだったが、兄と私たち家族は、それを現実に体験してきた。

ALSは全身の機能が失われる過酷な病気だ。

進行とともに手足はまったく動かなくなる。かゆいところがあってもかけないし、寝返りもできないし、指先のわずかな動きさえ失くしていく。

食べ物を摂るための筋肉が動かなくなって食べられなくなり、やがて話をしたり、呼吸をするための機能も失ってしまう。

そのままだったら死を避けられないが、医学や療養環境の進歩で「選択」ができるようになった。

死ぬか、それとも人工呼吸器を使って生きるか、という選択だ。

生きられる方法があるなら生きればいいじゃないか、そう単純に決められるなら話は簡単だが、現実には何層もの険しい壁が待ち構える。

たとえば、全身の機能を失っても脳の機能はまったく正常という壁。

自分で思考し、特殊なパソコンや文字盤を使ってコミュニケーションできるという点ではありがたいことだが、一方では痛み、かゆみ、暑さ、寒さ、恐怖、すべての感覚がある。

それでいて、これらの苦痛に、自分ではどう対処することもできない。

かゆいところをかけないというだけでもどれだけの苦痛か、想像を絶するものだろう。

そんなふうに、日々絶え間なく襲う苦しみを抱えて、それでも生きるという気持ちになれるかどうか…、患者さんの多くはあまりにつらい現実と向き合うことになる。

24時間の介護が必要となれば、家族の負担はもちろんのこと、介護や医療のスタッフをどう確保するかという問題に直面する。

経済的、物理的、そして精神的にも言い尽くせないほどの壁が次々と襲うから、家族関係が壊れたり、患者以外の人が倒れることも珍しくない。

私たち家族の場合は、兄の状況に心痛を深めた母が突然死した。

当時、入院中だった兄は葬儀にすら参列できず、動かなくなった手を合わせて祈ることもできず、病院のベッドでただひとり涙に暮れていた。

そしてもちろん、あふれる涙を拭うことさえできないのだ。

兄はすでに人工呼吸器をつけていて、長期療養型の病院に転院するよう勧められていた。

だが、母の突然死によって「家に帰りたい」という思いが強まり、なんとか在宅療養生活ができないかと情報収集をはじめた。

「まばたき」で特殊なパソコンを動かし、自分の今後を選択するための行動に出たのだ。

兄は在宅療養を支援するクリニックの医師にメールを送り、「力を貸してほしい」と訴えた。後日、その内容を目にした私は、そこに書かれていたある言葉に激しく胸を揺さぶられた。

<毎日、ずーっと天井だけを見ている生活。やっぱりつらいです>

兄が「まばたき」で、長い時間をかけて綴った言葉の重みに、私はとめどなく涙が流れた。

現実に、「ずーっと天井だけを見ている」人が発した、「つらい」という言葉。

それは、他の誰が言うより迫るものがあった。

その人だからこそ、その人にしか言えない「つらい」という言葉は、なんと重く心に届くことだろう。

人は誰しも、その人なりにつらいことを抱えている。自分以外の誰にも、本当にはわかってもらえないつらさ、他人には到底理解してもらえない苦しさがある。

それでも、その人の思いは、その人が発するからこそ力を持つのだ。

みっともなくても、情けなくても、「その人の真実」から生み出された言葉だからこそ、確かに伝わるのだと思う。

医師にメールを送った3ヵ月後、兄は自宅へ戻ることができた。

以来、数えきれないほどたくさんの人たちの支援を得て、在宅療養生活を送っている。

東日本大震災では1週間も停電し、人工呼吸器の動力を確保するために大変な苦労があったし、日々押し寄せる闘いはつづいている。

それでも、兄は持ち前の明るさと能天気さ(?)で、次々とあらたなチャレンジを試みている。

新幹線に乗ってプチ旅行、旧友との食事会、野球観戦、ショッピングセンターでの買い物、最新医療機器の患者テストに参加、福祉系大学の学生実習に協力、マスコミからの取材対応などとスケジュールはビッシリ。

「ずーっと天井だけを見ている」どころか、特殊なパソコンを駆使しておやじギャグを出し、若い女子学生さんにはデレデレとお世辞まで言う始末(苦笑)。

そんな今の生活は、家族や周囲の人たちの支えは当然ながら、当人が懸命の努力で獲得したものだ。

その人が、その人の力や言葉で、その人なりの生きる道を切り開いてきたからこそ、今の、この瞬間があるのだと思う。

再度、その人だからこそ、その人にしか言えない言葉について書けば、これは私のように文章を書く人間にはいっそう重い。

私たち物書きは、誰でも使える日本語を使いながら、自分だからこそ書ける、あるいは自分にしか書けない文章を生み出そうとしている。

借り物ではない、二番煎じではない言葉を綴ることこそが、この仕事の意義であり、物書きとしての責任だ。
 
そんな基本中の基本が、このところ揺らいでいるように感じてならない。

ときどき、若いライターさんやマスコミ志望者を指導する機会があるが、そういう人たちがよりによって「コピペ」をしていたりする。

ネットの情報や新聞記事を丸写しして、体裁だけ整えたような文章に接すると、その安易な姿勢に悲しくなってしまう。

おまけに、コピペされたネット情報も、誰かの文章の無断引用(私の本もあちこちで無断引用されている…)だったりするから、なんだか踏んだり蹴ったりといった心境だ。

自由に話し、自由に書けるはずの人たちが、なぜ「自分だからこそ書ける」という言葉を探そうとしないのか。
…なんて偉そうなことを言っている私自身、しょっちゅう「書けない~!」と頭を掻きむしり、パソコンの前でゲェゲェ吐きそうになっているのだけど(汗)。

そんなとき、私はふと兄の姿を浮かべる。

兄が「まばたき」で言葉を綴り、自分なりの生きる道を切り開いたように、私だってくじけてはいられない、そう思うのだ。

兄はたくさんの人に支えられているが、一方でたくさんの人を励まし、勇気づけているのではないだろうか。

少なくとも私は、兄のがんばりに追いつきたいという妹ならではの負けん気で、今日も原稿と格闘している。

過酷な病気は悲劇だが、決して悲劇だけでは終わらない。

兄はこれから先どんな言葉を綴っていくのか、その重みに負けないよう、私も自分なりの生きる道を模索しよう。