私のふるさと・伊東市での講演会
今年に入って、私の生まれ育ったふるさと、静岡県伊東市で2回も講演をさせていただいた。
一度目は1月中旬、テーマは子どものネット問題や学校生活などの問題。このときは、民生委員さんや教育関係者の方が参加され、いわば研修会のような形式。
聴講者の中に、なんと中学時代の担任の先生がいらして、三十ウン年ぶりの再会にすごくビックリした。
中学時代の私は決して優等生ではなかったのに、先生は「あなたは、あのころから光るものを持っていた」などとほめてくださる。
さらに、「こうやって活躍している姿を見ると、先生もすごくうれしいよ」と満面の笑みを浮かべられて、私もなんだかグッとくるものがあった。
二度目は三月中旬、一般市民の方向けに、よりよい夫婦関係をどう作っていくか、といったテーマでお話しさせていただいた。
ベースは男女共同参画なのだけど、堅苦しい話をしてもつまらないので、「ギスギス夫婦をやめて、ニコニコ夫婦になろう」と演題をつけた。
モラハラ(モラルハラスメント)やDV(ドメスティックバイオレンス)などの問題も織り込みつつ、なるべく身近なこととして納得、共感していただけるような構成にした。
私が伊東市で生まれ育ったということもあっただろうが、市民の方たちは「わかりやすかった」、「おもしろかった」、「また伊東で講演してね」ととても好意的な反応。
本当に、ふるさとってあたたかい、としみじみ思う…。
3月の講演では伊東市長とも懇談し、市長公室で一緒に写真を撮った。
この街で生活していた18歳までの私には、想像もできなかった将来だ。
思えば、伊東にいたころの私は、この街のよさ、すばらしさに無頓着だった。
海と山に囲まれた温暖な気候、豊富な温泉、おいしい食べ物、お人好しでのんびりしている人々…、そんな光景があたりまえすぎて、特に心に響くものなどなかった。
とりわけ高校生のころは、のんびりすぎる街がイヤでたまらず、「早く都会に出たい」と思っていた。そして実際、大学入学を機にふるさとを離れ、以来ずっと別の場所に住んでいる。
伊東にいたころより、別の場所で暮らしてきた日々のほうがはるかに長いのに、なぜだか今の土地よりも伊東への愛着のほうが大きい。
「そうだら~」(そうでしょう?)、「いくら~」(行くでしょう?)といった独自のイントネーションを持つ伊東訛りを耳にすると、ホッと気持ちが楽になる。
市長さんと写真を撮った市長公室の大きな窓からは、伊東の市街地と青い海、沖に浮かぶ初島が一望できた。
狭い平地に貼りつくように軒を連ねて建つ家々の中に、私が育った築50年以上のオンボロの実家もある。
今は、80歳を過ぎた父が一人暮らし…。
老境の男一人暮らしでは不自由なことも多いし、きっと寂しい思いをさせているだろう。
その父は、私が市長さんと一緒に写る写真を何度も何度も見て、「よく撮れてるなぁ」、「死んだおばあちゃん(私の母)も、空の上で大喜びしてるだろうな」とうれしそうに話す。
ささやかな親孝行になったのだろうか。
それとも、もっと別の形で老いた父を支えていかなくていいのだろうか。
いつもそんな心の揺れを覚えながら、帰路の電車内から伊東の青い海を見ている。