言葉が雪のように溶けるまで

言葉が雪のように溶けるまで

2月に入ってからの連チャンの大雪…。

雪国の方からすれば「20~30㎝程度で?」と失笑されるかもしれないが、首都圏は本当に雪に弱い。

私の住む千葉市は、2月8日~9日の最初の積雪が観測史上最大の33㎝。

11日にはなぜか局地的に10㎝。

そしてまた14日に13㎝積もった。

雪の影響で仕事にも数々の支障が出た。

自宅の最寄り駅まであと2駅というところで帰宅難民になり、講演会はキャンセルされ、駅まで長靴を履いて往復1時間歩くとか…。

おまけに屋根からの落雪でテレビのアンテナが全壊(涙)。

オリンピックは見られないし、思わぬ出費で懐まで寒い…。

まぁ挙げればほんとにいろいろあった数日だ。

でも、一番心にグサッときたのは、ある仕事関係者のストレスをぶつけられたことだ。

ここ数ヵ月、相手はいかに自分が忙しく、どれほど目の前の仕事に追われているかを、これでもかと私に伝えていた。

その人はとても優秀で、人格的にも優れている。

だからこそ、ここまで大変さを訴えるのはよほどのことなのだろうと思い、一方的な言い分やコロコロ変わるスケジュールにも黙って従ってきた。

それでも、私だって生身の人間。

内心、「ちょっと、それはどうよ?」という思いが拭えず、自分自身の大変さを押し殺すのもそろそろ限界だった。

大雪の影響が残る中、相手から「お詫び」のような電話がかかってきた。

「お詫び」をしているつもりなのかもしれないが、言葉の端々に「それを言っちゃぁ、おしまいよ」的なニュアンスがいっぱいで、正直、聞くに堪えないものだった。

このままでは、相手は私だけでなくほかの人にも荒々しい言葉を吐き、他人のことなどお構いなしに自分の大変さだけを訴えていくように思えた。

なにより、一方的な言い分を聞く限界を超えてしまった私は、いくつか反論めいたことを返した。

すると相手はますます精神的に追い詰められたのか、「だから、申し訳ないって言ってんでしょ!!」とキレる始末…。

そのキレ方が、相手の精神状態を如実に表しているようで逆に心配になり、「今は冷静にお話しできる状況に思えないので、また今度にしましょう」と、私から話を打ち切った。

人は自分が大変な状況に陥ると、自分のことしか見えなくなってしまうものだ。

他人も同じように大変かもしれないとか、もしかしたら自分以上にしんどいかもしれないとか、そんなふうに思えなくなりがちだ。

私だって今まで、自分のことしか頭にない、そんな経験と失敗はいくつも重ねてきたので決して偉そうなことは言えやしない。

それでも、「それを言っちゃあ、おしまいよ」的な相手の言葉が頭にこびりついて、悶々と心が沈む。

本心ではないと思いたいが、一方でそれが本心だとしたら、今まで私は相手のどこを見て「優秀だ」とか、「人格者だ」とか、勝手に思い込んできたのだろう…。

あるいは逆に相手のほうも、「これだけ大変だって言ってるのに、こっちの事情をわからないで、話にならないヤツだ」と私に幻滅しているのかもしれないが…。

どんな仕事にも人間関係のむずかしさは付きものだが、私はどうすればよかったのだろうかと何度も振り返っている。

もっと早い段階で、相手に何か言っておいたほうがよかったのか。

それとも、最後まで自分の思いを押し殺していたほうがよかったのか。

何か言うにしても、また違った言葉を使えなかったのか。

相手からぶつけられた言葉を、この先、水に流していくことができるのか。

言葉を扱う仕事をしていながら、言葉の重さをあらためて思い知っている。

言葉は人に力や喜びを与えるが、一方で力を奪い、深く傷つけもする。

こんなときは、人間の言葉を使わない我が家のアイドル猫と戯れ、少しでも心の平安を保とう。

はじめての大雪に少しビビりながらも、雪の中でひととき遊んだ猫は、暖かい部屋に戻ってずっと爆睡。

この雪が溶けるように、きっと相手から投げられた数々の言葉も忘れられる日が来るだろう。