「書いている」人も、またそれぞれ

6月11日、日本文藝家協会創立100周年記念の祝賀会が開催された。

会場は丸の内にある東京會舘だ。

日本文藝家協会とは、「文芸を職業とする者の職能団体として設立された公益社団法人」。

文芸家の地位向上、言論の自由の擁護、文芸家の収入・生活の安定などを活動目的にしている。

文芸家といっても範囲は幅広い。

小説家、劇作家、翻訳家、エッセイスト、歌人、俳人、詩人、評論家…。

加えて私のようなノンフィクション分野の人間も少数ながらいるようだ。

入会には、基本的に「理事の推薦」が必要だ。

「〇〇賞」などの賞の受賞者、ベストセラー作家、顕著な文筆活動が認められた人などに限られているらしい。

「らしい」と書いたのは、そもそも私がどういう理由で「推薦」を受けたのかわからないから。

10年近く前、「あなたが推薦されました」と事務局から連絡が来て入会を勧められた。

私の推薦者は作家の林真理子さんと三田誠広さんだったが、もちろん面識などなく、推薦していただいた理由にも心当たりがない。

それでも会員になったのは、著作権の管理を一任できるから。

私の著作は入試問題に採用されることが多く、その後は参考書とか、大手進学塾のテスト問題とか、要は「二次使用」の許諾申請が寄せられる。

使用目的や企業、団体ごとに別々に申請が来るため、この許諾が結構な手間。

それを一括で管理委託できるのは(管理手数料は必要)、大きなメリットだった。

さらにもうひとつ、私のようなフリーランスはとかく怪しまれる(笑)。

世間というのは、学校や企業など「所属」で人を判断しがちなため、どこの馬の骨ともわからない、おまけに知名度もない私には、「日本文藝家協会」というある種の保証が魅力的だった。

とはいえ入会時から、自分がこういう団体に所属していていいものか、そんな迷いが少なからずあった。

著名な作家、芥川賞や直木賞の受賞者、大学教授や医師、評論家などの文化人…。

「雲の上の人」が多い団体には自分の居場所などないようで、年に一度開かれる総会や懇親会にはまったく関心が持てなかった。

それが今回、100周年記念の祝宴案内が来て、ううむ、一回くらいは参加してみようかと出向いてみた。

まずは会場の東京會舘の豪華さにビックリ!

廊下やフロアに敷き詰められたカーペットは靴のかかとが埋まるほどふかふかで、もうこの時点で場違いのような肩身の狭さを感じる。

14時からは総会。

16時からは桐野夏生さんと川上弘美さんのトークショー。

そして18時からのパーティーには、ざっと500人くらいが参加していただろうか。

そのすべてを体験して胸に沸いたのは、「書いている」と言っても、人それぞれだなぁという感覚だ。

たとえば一口に「小説」としても、純文学、エンターテイメント文学、児童文学、歴史や推理小説、最近流行りのライトノベルもあったりする。

少数派のノンフィクション分野で、おまけにひとり参加の私は知り合いもなくぽつねんとしていたが、たまたま近くにいたお二人の女性に話しかけ、ひととき懇談する機会を得た。

いずれも小説家の方、しかも純文学を書かれているという。

話題は「芥川賞」になったりしたが、お二人に聞いたところでは、2024年度の芥川賞受賞者が、「チャットGPTのような生成AIを駆使して書いた」と発言したそうだ。

お二人は「生成AIを駆使した作品が芥川賞を受賞した」ことに批判的だったが、そりゃそうだろう。

受賞者ご本人もさることながら、そういう作品に芥川賞を与えてしまう選考委員もどうかと思うが、まぁ門外漢の私にはわからない「評価の基準」でもあるのだろう。

懇談した女性のうちおひとりは「70歳になってから」、もうおひとりは「60歳になってから」小説を書きはじめたと聞いて、これまたビックリ!!

おまけに「書くのが楽しい」とニコニコされている。

よっぽど話題作でも出しているのかと「初版」の部数を尋ねたら、「600部」と言われてまた驚いた。

初版というのは刊行時に発売される本の部数で、この部数に印税(基本は定価の8~10%)を掛けた金額が著者の収入となる。

仮に先の方の本が定価1,500円、印税率10%としたら、150円×600部=90,000円。

1冊書いて仮に90,000円ではとても生活できないし、それでも「書くのが楽しい」って、心の余裕(経済的余裕?)がすごすぎる。

ひねくれ者で心の狭い私など、ついつい「売れっ子」さんを妬んでしまう。

「デビュー作が発売即重版」

「世界各国で300万部の売上」

「欧米では日本の小説がベストセラーになっている」

そんな話を聞くたびに、ついひがみ根性が沸き起こり、自分の性格の悪さがイヤになる。

「70歳から小説を書きはじめた」と話した女性にそんな心の内を伝えてみると、さらりと言われた。

「まぁ仕方ないわよ。人それぞれだもの」

これまたすごい心の余裕を見せつけられて、うーん、と次の言葉が出てこなかった。

人それぞれ、みんな違うのがあたりまえ。

売れる人は売れるが、売れない人は売れない。

生成AIを使って書く人もいれば、何年も、地道に原稿と格闘する人もいる。

どういう結果になっても「仕方ない」と思える深さがないと、本当の意味で「書くのが楽しい」とは言えないのかもしれない。

きらびやかな会場で、名だたる著名人を見て、おいしいスイーツも食べたけど、帰りの足取りは正直重かった。

「仕方ない」、「人それぞれ」とは割り切れない自分の心の狭さ。

こういう祝宴には身の丈が合っていないのだと、深いため息ばかり漏れた夜だった。