「ひまわり」に隠れたもの
例年この時期には、「あの日から〇年」などと戦争にまつわる報道が増える。
大規模空襲や原爆投下後の悲惨極まりない市中の状況。
精神論や同調意識、神格化をもとに、無謀に遂行された戦地の行軍。
先の見えない戦闘に疲弊し尽くし、行倒れていった数多くの人々。
マスコミ業界で働いてきた私は、これまで数多くの書籍やドキュメンタリー番組、映画に接してきた。
誰かに「見てよかったと思える映画は何ですか?」と聞かれたら、戦争をテーマにしたいくつかの作品が思い浮かぶ。
特に心に刻まれているのが『ひまわり』(1970年・イタリア)だ。
第二次世界大戦中のイタリア。
洋裁の仕立てをするジョバンナ(ソフィア・ローレン)は、海岸で出会った兵士のアントニオ(ルチェロ・マストロヤンニ)と恋に落ちる。
二人は12日間の結婚休暇を目当てにすぐに結婚。ほどなくアントニオは厳冬の地、ソビエトの東部戦線に送られ、消息を絶ってしまう。
ジョバンナは終戦後も夫の母親と同居しながらアントニオの帰還を待ちつづけ、やがて冷戦下のソビエトに単身乗り込む。
言葉も通じない異国の地で必死に夫を探すうち、「無数の戦死者が埋まっている」という一面のひまわり畑を目にする。
やがてある村に辿り着くが、そこには夫と暮らすソビエト人の妻、子どもの姿があった。
実際にはこの先もエピソードがあり、なぜ夫がソビエトで暮らすようになったのか、事実を知ったジョバンナがどうしたのかと展開するのだが、ともかくもこの映画は胸に染み入る。
物語の根幹をなす夫婦は、典型的とも言える陽気なイタリア人。
暮らしぶりもそう豊かでなく、特別なスキルがあるわけでもない。
どこにでもいそうな夫婦が戦争によって引き裂かれ、残酷な運命に翻弄されていく過程が丁寧に描かれることもすばらしいが、特筆すべきは別のところにある。
この映画には、爆撃の下で逃げ惑う人々や血みどろで闘い合う兵士、焦土と化した街、そういうシーンが一切ない。
爆撃も、戦闘も描かれず、むしろ美しく広大なひまわり畑を背景に哀愁漂うテーマ曲(ヘンリー・マンシーニ作曲)が流れるだけ。
だからこそより深い悲しみが伝わってくる。
このひまわり畑は、現在のウクライナで撮影されたという。
言うまでもなく、今まさに、過酷な戦争に巻き込まれている地だ。
ウクライナ、パレスチナなど世界の各地で罪もない人々の命が奪われていく惨状に、どうしたらいいものかと胸の奥がキリキリする。
そんな私はときどき、自宅の裏手にある河川敷に散歩に出かける。
いつ、誰が植えたのか、数年前から河川敷に面してひまわり畑が現れるようになった。
太陽に向かって咲き誇る花々はまぶしい光に包まれ、見る者を圧倒するようなエネルギーを放っている。
そういえば以前、新聞記者からインタビュー取材を受けた。
著者としての私を紹介する記事だったが、そこに「ひまわりのような人」とあった。
可憐でも清楚でもなく「ひまわり」かぁ…、と思わず笑ったが、今になってみると別の感情が沸き起こる。
「ひまわりのような人」と表された私でも、人生を歩む過程で、人知れず深い悲しみを体験した。
特にこの数年、立て続けに親しい人を亡くし、言いようのない寂しさや重い後悔に苛まれる。
明るく、エネルギッシュなひまわりが、本当のところ過酷な暑さと戦っているように、私もまた土の下、必死にあがくひとりだ。
さまざまな思いを秘めながら、ひまわり畑の隣をゆっくりと歩く。
いたわるような一陣の風が吹き抜け、まっすぐ伸びた茎が優しくなびくと、少しだけ救われた気がする。