散歩の時間
昨年末から最近まで、午前4時に起床していた。
「歳のせいだね…」と突っ込まれそうだが、早起きしていたのには理由がある。
仕事が片付かず、心の余裕がどんどんなくなっていたのだ。
通常の就労時間内で仕事が終わらなければ一般的には「残業」で、夜にかけて延長することになる。
私が働くマスコミ業界は夜に仕事をする人が圧倒的。
特に週刊誌の編集部では、「会議が夜9時から」とか、「原稿の文字数確定が深夜1時」なんてことも珍しくない。
そういう仕事に関わるときは当然ながら夜に延長せざるを得ないのだが、私は基本的に「朝型」で、午前中のほうが能率がいい。
長く仕事と子育てを両立してきたこともあって、朝、家事をしつつ子どもたちを学校へ送り出し、そこからさぁ仕事だ、と気持ちを切り替える生活だった。
子どもたちが社会人となり、独立した今でも、その生活スタイルが身に着いている。
もうひとつ、夜の仕事より朝のほうがいいのは、遅くまで原稿を書くと眠れなくなってしまうから。
目が冴えたまま、書き上げた記事の構成を悶々と考えたり、頭の中で文字がグルグル回ったりしてなかなか眠れない。
そんな事情もあって早起きすることが多いが、冬の朝は寒さが身に染みる反面、澄んだ静けさがどこか心地よい。
容易に進まない原稿に焦りを感じつつ、ふとカーテンの隙間から外を見ると、暗闇に包まれた住宅街の屋根の向こうがわずかに白みかけてくる。
そういう自然の営みにちょっとロマンチックな気分に浸ったのも束の間、もうひとり早起きの家族が私のヒザに飛び乗ってくる。
愛猫のミッキー(雄)だ。
我が家の庭に迷い込んだのを保護してもうすぐ8年。そろそろ高齢と言われる年齢だが、いたって元気だ。
マイペースで自己中、でも甘えん坊という、まさにツンデレの猫だが、お気に入りなのが散歩。
当人(当猫)は「散歩」とは思っていないかもしれないが、私が歩くと足取り軽くついてくる。
その様子が楽しげで、かわいくて、散歩用のリードを買って近くの遊歩道や原っぱに出かけたりしていた。
とはいえ、それもこちらに時間と心の余裕があるときだけ。
忙しくなれば散歩どころかまともに構ってやれず、せいぜい短い時間、ヒザの上に載せるくらいしかできない。
もっと余裕がなくなると、「あっちに行ってて!」、「仕事の邪魔しちゃダメ!」、そんなふうにイライラをぶつけてしまう。
ああ、これじゃあダメだ…、そう思って早起きし、せっせと仕事をこなして散歩の時間を作ることにした。
近所のワンちゃんたちの散歩が途絶えたお昼近く、誰もいない原っぱで、愛猫とのひとときを過ごす。
「空が青いねぇ」とか、「鳥が鳴いてるよ」とか、私が話しかけてもそっぽを向く。
それでいて、こちらが歩けばあとをついてきて、隣に並んだり、勢いよく追い抜いたり…。
こんな時間がかつてもあったな、と思う。
子どもたちと過ごす日々、目まぐるしい毎日の中でも、散歩をするひとときがあった。
赤ちゃんのときにはベビーカーに乗せ、ひとりで歩き出したら手をつないだ。
小学生のころはしりとりやクイズをしながら並んで歩き、中学生になったらもう全然ついてこない(笑)。
そうしておとなになった彼らは私を追い抜いて、あれこれ危なっかしいながらも、なんとか自分の力で生きている。
子育ての日々は長いようでいて、短い。
いや、子育てに限らず、過ぎ去ったあらゆる時間がそうなのかもしれない。
その時間が愛おしいほど、かけがえがないほど、過ぎ去ってから気づく何かがあるのだ。
「ミッキー、これからも散歩しようね」
今あるこの時間を大切にしようと話しかけても、愛猫は相変わらずそっぽを向く。
それでも足取りは楽しげで、弾むように寒風を切っていく。