子どもの居場所
今、子どもの育ちにはたくさんの問題が起きている。
貧困状態にある子が6人に1人。
全国の児童相談所が対応に当たった児童虐待件数が約8万9千件。
不登校になっている小中学生の数は約12万人。
学校にも家庭にも地域にも居場所がない子どもの実態を取材するたび、いつも思う。
彼らは、どこで、誰と関わればいいのだろうか、と。
一方で、15歳未満の子どもの数は35年連続減少で1605万人。全人口に占める割合は12.5%に過ぎない。
少子化対策とか子育て支援とか、政治家の言葉ではいろいろ言われているが、こちらも取材するたび、つい嘆息する。
今の社会は、本当に子どもに優しいのだろうか、と。
なにしろ「子育てに優しい街づくり」をキャッチフレーズにする行政が、市内の公園にこんな看板を掲げてしまう。
『サッカー禁止 見かけたら110番します 〇〇市役所都市計画課』←実物は実名表記
「子育てに優しい」と言う一方で、「警察呼ぶぞ」ってどういうこと?!
こんな矛盾を目の当たりにすると、私は子どもの育ちにますます危機感を覚える。
そうした中でも、あらたな「気づき」を得られる取材ができると、とてもうれしい。
4月には、神奈川県川崎市にある「子ども夢パーク」を取材し、運営されているNPO法人「たまりば」の代表・西野博之さんのお話を伺ってきた。
「子ども夢パーク」は、全国でも珍しい公設民営の施設。行政と民間事業者(たまりば)が協力して管理、運営している。
簡単に言うと、「誰でも、タダで、いろんな遊びができる公園」なのだが、並みの公園とはわけが違う。
よくある滑り台やブランコといった「既成の遊具」は全然ない。
きれいに整地された芝生とか、おしゃれな花壇とか、オブジェ付きの噴水なんかもちろんない。
ここでは、「必要なものは自分で作る」、「やりたいことは自分の力で挑戦する」というポリシーが貫かれている。
たとえば「穴を掘ってみたい」という子がいたら、自分で道具を工夫して土に穴を掘る。
「水を撒きたい」子どもは、ホースで水をじゃんじゃん撒けばいい(ちなみに井戸水を使用)。
「火をおこしたい」のなら、廃材を組んだり、まきを使って火を燃やせばいい。
土、水、火、という、長く私たち人間の暮らしを支えてきたものを使った「遊び」が、存分にできるのだ。
西野さんはこんなお話をされていた。
「子どもは、五感を使って遊ぶことが大事だと思います。さわったらグチャグチャしてるとか、匂いをかいだら臭かったとか、痛い、熱い、冷たい、気持ちいい、そういう感覚から学べることがたくさんある。ここは、子どもが本来持っている力を存分に発揮できる場所なんです」
本当にそのとおりだ、と深く感じ入った。
何かをやろうとしたら、「危ないからやめなさい」とか「汚いからダメ」とか、今の子どもは禁止されてばかりいる。
清潔さ、快適性、効率、評価、スピード…、いろんな「完全無欠」を求めがちな現代社会で育つ彼らは、「実際にやってみたらどうだったか」という体験、リアルな感覚をなかなか得られない。
それこそ土に穴を掘るというとき、「水を撒いたら土が柔らかくなって掘りやすい」といった体感を得られるかどうか、これは子どもの育ちに非常に重要だと思う。
西野さんのお話で、つい「うんうん、そうだよね」と頷いたことはたくさんあるのだが、ここでひとつだけ挙げると、「自分で火をおこしたら、何かを焼きたくなる」。
「子どもが自分の力でまきに火をつけるでしょ。火が燃えるとね、何かを焼きたくなるんですよね。それで、ウインナーとか、さつまいもとか、ニンジンとか、木の棒の先につけて自分で焼く。普段はスナック菓子ばかり食べているような子が、うまい、うまいって喜んで食べる。火には、人間の力を引き出すものがあるように思いますねぇ」(西野さん談)
自分の力でやってみる、それは成功しても失敗しても、子どもにとって大きな糧となるはずだ。
特に「失敗してもいい」と言ってもらえる場所は、この時代において本当に貴重だろう。
子どもは、いろんなことができない。
きれいにご飯を食べられなかったり、自転車でスイスイ走れなかったり、漢字の表記が読めなかったり…、そういう「できないことをいっぱい抱えた存在」が子どもというものだ。
けれども、そんな子どもたちに向けられる言葉は、「早くやりなさい」、「ちゃんとできないの?」、「また間違えた」、「いつになったらわかるのよ」、「まったくアンタはダメな子ね」
「できない」ことを否定され、失敗することを批判されつづける子どもにとって、「今できなくたっていいんだよ。失敗しても大丈夫。いつかできるようになるかもね」と包んでくれる場所や人が必要だ。
それこそが彼らの成長を支える。
ところで、「子ども夢パーク」の特筆すべき点は、「何もしなくていい自由」が保障されていること。
つまり、「やりたいことがなかったら、ただボーッとしててもいいんだよ」と言ってもらえる。
幼いころから忙しすぎる子どもにとって、「何もしなくていい」というのは、実はものすごく救われるんじゃないだろうか。
かくいう私は小さいころ、何もしないでただボーッとするのが好きだった。
机の下とか、押し入れとか、狭くて暗い場所で体を丸め、勝手にいろんな物語を想像したり、ときには子どもなりのエッチな妄想なんかをしていた(笑)。
おとなから見ると「何もしていない時間」の中で、幼い私は自分の心と向き合い、自分なりの時間をこっそりと楽しんでいた。
「何かやる」ことばかりを求められるのは、誰だってつらい。
「うまくやれ」、「早くしろ」、「勝ちなさい」と期待されてばかりでは、どこかできっと折れてしまう。
「何もしなくていい」、それでもあなたがそこにいるだけでいいんだよ、と存在を認めてもらえる居場所こそが、今の子どもたちに必要だと思う。
ときに挑戦し、ときに挫折し、またときにはゆっくりと休息できる場所を、今こそすべての子どもに与えてほしい。