新刊発売のお知らせ
新刊『スマホ廃人』が、文藝春秋社より発売された。
http://ishikawa-yuki.com/books21.html
「センテンススプリング」、「文春砲」などと話題を集める版元だけに、なんとも刺激的なタイトルだが、中身はいたって真面目なもの。
スマホがもたらす利便性の一方で、いつの間にかスマホを手放せなくなっている人々にどんなことが起きているか、乳幼児から中高校生、サラリーマンや高齢者の実情まで、さまざまな現場を追った。
専門家の先生方の知見を得て、「ついスマホを使ってしまう心理」や、「スマホがないと不安になる理由」も探った。
取材をつづける中で私自身、とても勉強になると同時に、スマホという名のあらたな文明の利器に向き合うむずかしさを痛感した。
実は今月、私はスマホの機種変更をした。
4年半使ったiPhone 5から、iPhone SEに替えたのだが、数年の間に進化した機能の充実ぶりにビックリした。
特に「カメラ」と「写真」の機能には感激。
今までどうやっても「正面」が捉えられなかった愛猫ミッキーの顔が、タイミングよくちゃんと撮れるのだ。
あまりのうれしさに、スマホを手にしたまま何度も近所をお散歩。
満開の桜を背景にしたベストショットに、ついつい頬がゆるんだ。
そう、スマホは私たちの生活に、楽しさや喜び、刺激や興奮、便利さや効率をもたらしてくれる。
スマホがなかったころと比べたら、誰かとのコミュニケーションも、仕事の進行具合も、電車の乗換や道案内も、音楽や動画視聴も、はるかにスゴイことになっている。
だから、スマホがもたらす数々の恩恵に感謝しきりなのだけれど、反面では「怖さ」も感じている。
むろん、スマホそのものが悪いわけではなく、それを使う私たちの思考や感情、行動が、この先どこへ向かうのかと不安を覚えるのだ。
今回の取材では興味深いことがたくさんあったが、とりわけ「ついスマホを使ってしまう心理」が印象に残った。
詳細については拙著をご覧いただきたいが、気づけばスマホを使っている背景には、大きく三つの心理的要素が考えられる。
ひとつは「手軽であること」、次に「身体感覚とマッチすること」、三つ目が「感覚への刺激が得られやすいこと」だ。
手軽に、簡単にできることは、連鎖的な行動につながりやすい。
たとえば、手で皮をむいてすぐに食べられるミカンを食べ過ぎた経験のある人は多いだろう。
一方、リンゴのように包丁で皮をむいて、芯を取って、小さく切って、変色を防ぐために塩水で洗って…、と手間がかかるものは、必要以上に食べ過ぎることがない。
こんなふうに手軽であることは、いつの間にか人を取り込んでいく要素を持っているのだが、その点スマホはまさに「手軽」な機器にほかならない。
「身体感覚とマッチすること」は、スマホの操作性と関わってくる。スマホは画面を指で押したり、スライドさせたりするだけで動く。
これらの動作が脳内に記憶されると、いちいち意識しなくても使えるようになる。
一度乗り方を覚えれば、意識せずともスイスイ自転車を漕げるように、「あたりまえの行動」となって習慣化しやすいのだ。
単に習慣化するだけなら問題ではないが、スマホを使うと刺激や快感が簡単に得られる。
色鮮やかな表示や明るい通知音。
SNSに「いいね!」が寄せられたり、友達の写真が次々アップされたり、おもしろい情報がすぐに探せたりして、興奮や満足感がある。
こうして私たちは、「スマホを使えば刺激が得られる」ことを学習する。
スマホを使えば楽しいことがあるだろう、誰かと交流できるだろう、そんなふうに期待して、いつの間にか手放せなくなっていくのだ。
あんまりネタばれさせるわけにもいかないのでこのあたりで止めるが、スマホは私たちの日常生活に浸透しやすい機能性を、これでもかと備えている。
その機能性は容易に人を取り込み、「使い過ぎる」という事態を招きやすい。
ミッキーのベストショットが撮れた私もしかり。
もっと写真を撮りたい、きっとまたいい写真が撮れるだろうと「期待」し、その刺激の虜になりつつある。
楽しく使えばこれほど便利な機器はないが、仕事そっちのけで散歩に行くようになったりしたら…、そんな自分がチラリと浮かんでいる。