「だまされる」ということ
2月に入り、鳥取県内3カ所(鳥取市、倉吉市、米子市)を回ってきた。
県内の民生・児童委員さんを対象にした研修会で、「児童虐待防止」の講演をするためだ。
移動の途中、「因幡の白うさぎ」で有名な白兎海岸を通った。
私は子どものころ、「因幡の白うさぎ」を読んで、その強烈な物語がずっと印象に残っていた。
もともとは「古事記」の中にあるようだが、子ども向けの民話では概ね次のようなストーリーになっている。
隠岐の島に住んでいた一匹の白うさぎは、海の向こうにある大きな陸地に行きたいと思っていた。そこで海を渡るために、サメに言う。
「サメくん、キミたちの仲間と僕らの仲間とどちらの数が多いか比べよう。サメくんたちが海の向こうまで並んでくれれば、僕がその上を渡りながら数を数えるよ」
サメの背中をぴょんぴょん飛び跳ねて陸地に近づいた白うさぎは、最後のところでつい口をすべらせ、「数を数えるなんてウソだよ。だまされたな!」と笑う。
怒ったサメは白うさぎに襲いかかり、その皮をはいでしまう。
痛みに泣く白うさぎが、通りかかった神様に助けを求めると、「海水を浴びて太陽と風に当たれ」と言われる。
ところが、言われたとおりにするとますます痛みがひどくなる。
白うさぎはだまされたのだ。
そこに新しい神様が現れ、「体を真水で洗い、がまの穂を柔らかくしてその上に寝なさい」と教えてくれる。
新しい神様のおかげで白うさぎの痛みは消え、元通りに毛が生える。
「皮をはがれる」とか、「海水を浴びてますます痛みがひどくなる」とか、そういう恐ろしさが子ども心に強烈だったのだが、今になって考えると、白うさぎは「だまし、だまされる」という両面を表している。
サメをだまして海を渡ったがひどい結果になり、さらには通りかかった神様にだまされてもっとひどい目に遭う。
最後のところで救われるとはいえ、「だます、だまされる」ことは古来からあったのだろう。
さて、現代の「だます、だまされる」の代表格が「振り込め詐欺」や「還付金詐欺」などと呼ばれる犯罪被害だ。
先の鳥取県の研修会は二部構成で、前半は県警の警察官による「詐欺被害防止」の講演だった。
講演と言っても寸劇で、警察官が犯人役と被害者役を演じる。
後半の講演を控えた私はこの寸劇を拝見したのだが、実際に被害の状況を知ると、それまでの自分の認識がいかに甘かったかを痛感した。
「だます」という手口が非常に巧妙で、人の心理につけ込むよう冷徹に計算されているのだ。
たとえば「還付金詐欺」なら、まずこんな電話がかかってくる。
「社会保険庁の者ですが、あなたの払った医療費の一部が払い戻されます。通知を出したのですが、なぜか返送されてきました。こちらで再度調べますので、お名前と生年月日をお願いします」
この時点では「名前と生年月日」を尋ねられるだけ。
たいした不信感を持たずに答えてしまう人もいるだろう。
「通知を出したが返送されてきた」などと、もっともらしい理由も語られるから、なおさら不信感を抱きにくい。
相手に名前と生年月日を答えると、電話は一旦切れる。
翌日、また社会保険庁を名乗る人物から電話があり、「お名前と生年月日で無事に確認が取れました。還付金を入金したいのですが、今日が締切です。今から〇〇のATMに行くことはできますか?」と言われる。
指定された「〇〇のATM」とは、たとえばコンビニやスーパーなどに設置されたATM。
要は銀行内など監視が強い場所以外のATMが指定されるわけだ。
電話を受けた側が、「〇〇のATMなんて使ったことがない」などと躊躇すると、こんなふうに指示される。
「それではこちらから女性職員を向かわせます。職員がATMの近くでお教えしますので、そのとおりに機械を操作してください。万一、女性職員と会えない場合に備えて、携帯電話の番号を教えてもらえますか? 念のため、あなたの携帯電話も持って行ってください」
女性職員が向かう、教えてくれる、などと言われたら、機械に不慣れな高齢者は感謝しかねない。
だます側は、いかにも恩を売るような表現をして、相手に「親切な職員さん」という錯覚を与えるのだ。
こうして指定されたATMに向かうと、女性職員の姿はない。
困っていると、携帯に電話がかかってくる。
「万一、女性職員と会えない場合に備えて携帯電話を持参しろ」とあらかじめ言われているから、ここでも話のつじつまが合う。
かかってきた電話に「女性職員さんがいない」と伝えると、「実は緊急のトラブルがあって、そちらへの到着が大幅に遅れそうなんです。このままでは入金の締切が来てしまうので、取り急ぎ私が電話でお教えしますが、それでもよろしいですか?」と言われる。
「よろしいですか?」と言われて「イヤだ」とはそうそう言えるものではない。
しかも、実際にATMまで来てしまい、「締切間近」だと迫られる。
このように、容易に引き下がれない状況に仕向けるのが詐欺の典型的な手法だという。
こうして電話口での指示を受けながら、ATMの操作がはじまる。ここでも非常に巧妙な表現が使われる。
「まず、カードを入れたら、送金というボタンを押してください。次に、暗証番号をお願いします」
「はい、わかりました」と指示通りに操作すると、次はこんな感じ。
「では、あなたの還付金の個人番号を伝えます。言われた通りに数字を打ち込んでください。9、9、8、7、5、5です」
この時点のポイントは「個人番号」だ。
「金額を打ち込め」ではなく「個人番号」と言われると、最近のマイナンバー制度もあって簡単に信じ込んでしまう。
とはいえ、ここで打ち込んだ「個人番号」とは実際には金額。
つまり、99万8755円を送金、と打ち込んでしまっている。
「個人番号を打ち込んだら、次に社会保険庁から還付金を送るための手続きをします。〇〇銀行〇〇支店という名前を打ち込んでください」
ここで打ち込む銀行名は詐欺集団が用意した口座だが、「口座」だとわからないような表現が加わる。
「最後に、社会保険庁の還付金送金のための専用番号を教えます。8、5、2、3、3、1です。無事に操作できましたか?」
「還付金送金のための専用番号」とは詐欺集団の口座番号なのだが、一連の話の誘導の上に指示されたら、疑いもなく信じてしまうだろう。
すべての操作が完了すると、トドメはこう。
「こちらのパソコンで、あなたの操作が無事に終了したことを確認できました。では今から還付金を送金しますが、実際にあなたの銀行口座に入金されるまで3日ほどかかります。それまでは通帳の記帳はせずに待っていてください」
「3日かかる」、「通帳の記帳はしないで」と言われて待つ間、自分が「詐欺被害に遭った」ことにはまったく気づかない。
それどころか被害者は、「ご親切にいろいろ教えていただき、ありがとうございました」と感謝までする。
こうして、99万8755円はまんまとだまし取られてしまうのだ。
日頃、「還付金詐欺」などのニュースはイヤというほど見ている。
「詐欺の手口」を紹介するニュース番組や新聞記事も目にしてきた。
それでも私は心の中で、「自分は大丈夫」と思っていた。
思っていたが、一連の手法を詳細に知ると、いかに根拠のない自信だったかと恥ずかしい。
「生年月日を教えて」などと言われたら、単純な私は安易に答えてしまいそうだ。
なにより、高齢で一人暮らしをする父のことを思うと、不安が波のように押し寄せる。
父には口を酸っぱくして「詐欺に気をつけて」と伝えてきたが、これほど巧妙ではいつなんどき被害に遭うかもわからない。
前述したように、「振り込め」などとは一切言われない。
いきなりお金の話にもならない。
「生年月日」を尋ねられたり、「女性職員が操作を教える」と言われたり、「あなたの個人番号を打ち込んで」などと指示されるのだ。
警察官の寸劇を見て、「だまされる」とはどういう状況なのか、はじめて本質が理解できた気がする。
人の心理が利用され、練りに練った表現が使われ、「だまされたことに気づかせない」プロセスが徹底的に展開されるわけだ。
私の専門分野である「子どもの問題」もさることながら、高齢化社会のこの国では、こうした卑劣な犯罪が次々と起こりかねない。
因幡の白うさぎから長い年月が過ぎているというのに、「だまし、だまされる」社会はいつまでつづくのだろうか。