「ゲラ」の話
どんな仕事にも、特有に使われる業界用語があるだろう。
私が働く出版業界では、編集や校正作業に使う編集用語とか、報道各社が原稿作成する際の指標となる用語集・記者ハンドブックとか、世間的にはあまり知られていないものがある。
ところが私は、こうした業界用語に詳しくない。
職歴を積んだ今でこそ多少の知識はあるものの、この業界で働きはじめたころは、編集者が話す言葉がさっぱりわからなかった。
「トルツメで」と指示されて「爪を取る? なんのこと?」と思ったり、「ここは開きでいいですか」と言われても「ひらき? 干物じゃないよなぁ?」とポカンとしたり。
ちなみに「トルツメ」とは、文章の一部を削除して(トル)、前後をつなげる(ツメ)こと。
「開き」は漢字ではなくひらがなを使うことで、逆に「閉じる」なら、ひらがなを漢字に変える。
私の生まれ育った伊豆では魚の干物を「ひらき」と言うため、「ここは開きで」と言われて「干物」を連想したというお粗末さ。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
とはいえ、私にもそれなりの事情がある。
この業界に入る前は子育て中の主婦という「ど素人」、入ったあとはずっとフリーランスで、誰にも教えを乞う機会がなかったのだ。
編集用語を解説した本で個人的に勉強し、編集会議の場ではほかのライターや編集者とのやりとりを聞き漏らさないようにした。
そんなふうに時間をかけて覚えた業界用語のひとつに、「ゲラ」がある。
ゲラとは見本刷りのことで、ライターなどの書き手が書いた原稿が、雑誌や書籍のページのようにレイアウトされて印刷されたもの。
書籍の場合には「初校ゲラ」(最初の見本刷り)、「再校ゲラ」(二度目の見本刷り)」などと、複数回のゲラが出されるのが一般的だ。
このゲラで何をするかと言えば、著者と編集者、それに校閲がそれぞれ原稿を読み、修正や加筆、削除といった校正作業を行う。
著者が原稿に朱字を入れることを「著者校正」と言うのだが、とにかくこの作業はしんどい。
小さな出版社では、編集者が事前に朱字を入れたゲラが送られてきて、それを著者が確認、加筆や修正をして戻す。
最近のゲラはPDFで送られてくるため、家庭用プリンターでA4サイズに印刷すると、まぁ文字が小さいこと。
老眼鏡(苦笑)をかけなければ、とてもじゃないけど朱字の確認ができない。
目はショボショボ、肩はパンパンになりながら、自分のほうの朱字を入れたゲラをPDFにして編集者に送り返す。
一方、書籍の場合は出版社のほうで、B4サイズの大きめの紙に印刷したものを送ってくれる。
仮に200ページの本ならゲラにして100枚になるため、分厚い紙束が届くのだが、コトはそれだけで終わらない。
大手の出版社では、校閲の力がすごい。
校閲とは誤字などの誤表記を正したり、資料の引用元を確認したり、表現方法の提案をしたりするプロフェッショナルな作業のこと。
たとえば「虎の威を借りる」が、「虎の衣を借りる」になっていたら、「衣」のところに「威」と修正が加えられている。
著者が文中で示した資料の最新版があったりすると、その資料ごと印刷してゲラと一緒に送られてくる。
それこそゲラの100枚にプラスして参考資料が200枚とか、ものすごいボリュームでドーンと紙束が届くのだ。
書籍のゲラでは校閲が入れたチェックは朱字ではなく、「鉛筆書き」になっている。
要は、最終的な判断は著者に任されているのだが、それには業界用語がわからなければ進めようがない。
校閲が「ママ?」とか、「開く?」とか、「?」マークをつけてきた箇所について、こちらの指示や意図を朱字にして返す。
「ママ?」は「そのままでいいですか?」という意味なのだが、これが結構悩みのタネ。
そのままでいいのか、それとも修正したほうがいいのか、と迷うのだ。
自分なりに自信を持って表現したことでも、校閲から「ママ?」と指摘されると小心者の私はついビビる。
こんなふうにゲラの確認作業は、単に誤字の修正や資料の差し替えなどにとどまらず、結構な「神経戦」で疲労困憊になる。
顔写真とクレジット(署名)が入った特集記事が発売されたり、刊行した本が書店で平積みになったりと、私のような仕事は華やかなイメージで見られることが多い。
けれども、そういう部分はほんの一握り。
実際には、地味で細かく、根気のいる作業の積み重ねだ。
長い職歴の中、数えきれないほどゲラと格闘してきたが、時代の変化はひたひたと押し寄せている。
ここ数年、依頼が増えたWeb記事にはそもそもゲラがない。
Wordの校閲機能で編集者が朱字を入れた原稿がメール添付で送られてきて、こちらも同じWordの校閲機能で修正して戻すだけ。
紙で発売されないWeb記事にはゲラという名の見本刷りもなく、もちろん赤ペンで朱字を入れることもない。
そう遠くない未来、おそらく電子書籍やWeb記事が主流になっているだろう。
となれば、ゲラと格闘できるのは今のうち?
校閲の「鉛筆書き」のチェックや編集者の朱字など、人それぞれの筆跡から伝わるなんとも言えない親近感。
それを味わえるのは、今だからこそかもしれない。
しんどいとか、疲労困憊とか、そんなふうに言える今を、本当は大事にしなくてはならないだろうか。