「幸か不幸か」について考えた1年

今年はつらいことの多い1年だった。

年初は交通事故によるケガで介護ベッドに寝たまま迎え、ようやく少し動けるようになったら「コロナ」だ。

講演会や地方取材は「消滅」し、ちょっとした打ち合わせで誰かに会うこともままならない。

リモートやオンラインのご時世とはいえ、現場を大切にしてきた私には、その場の空気感、人の息遣いや仕草がつかめないのは堪えた。

何を書こうか、どんな企画を立てようかと考えても、うまくまとまらずに焦りが募る。

経済的にも将来的にも不安を抱えたまま時間が過ぎる中、なによりつらかったのは11歳になる愛猫ミッキーとの「別れ」だった。

5月の終わり、急に食欲を失くしたミッキーを病院に連れていくと、「腎不全」だと診断された。

突然の告知に驚き、しかも有効な治療法がないと告げられて、目の前が真っ暗になった。

それから毎日の点滴。

腎不全用の療法食。

「わらにもすがる思い」で、ネットで話題の民間療法も試した。

(「ケイ素の恵み」や「ビワの葉温シップ」などの民間療法は、残念ながらどれも効果がなかったことを追記しておく)

少しでも食べられそうなフードを探し、そして少しでも食べてくれると小躍りしたいほどうれしい。

反対に何も食べられず、じっと固まる姿を見ると胸が張り裂けそうだ。

これまでの人生で、私なりの紆余曲折はさまざまあった。

何度か、あまりに深い絶望も味わってきたが、今度のつらさはまったく違った。

ともに闘い、人生を切り開く「同志」を失うような心境だ。

振り返れば11年前の5月。

「キトンブルー」と呼ばれる子猫特有の青い目をしたオス猫は、我が家の庭にどこからともなく現れた。

おそらく生後2ヵ月くらいだったろう。

「ミャーミャー」とすがるようにないていた。

そのころ、私は複雑な事情を抱えた「どん底」状態。

突然現れた子猫を飼う余裕などなかったし、そもそも「犬派」で、実のところ猫嫌いだった。

よりによって、なぜ猫嫌いの私のところに?!

どこかヨソに行ってよ。

おまえはウチでは飼えないよ。

いくら話しかけても、キトンブルーの青い目でまっすぐにこちらを見て、「ミャーミャー」となくばかりだ。

ずいぶんと悩み、迷った末に家族の一員として迎え入れた。

そうして、その小さな命が、かけがえのない存在になるのに時間はかからなかった。

ミッキーは、野性味あふれる猫に成長した。

通院していた動物病院の先生には、「この子、猫じゃなくてトラだね」と笑われたくらいだ。

岩合さんの「世界ネコ歩き」に登場するとしたら、おそらく「ボス猫」と呼ばれて、「僕、こういう猫が好きなんですよー」なんて言われるに違いないと「妄想」したものだ。

あまりに多くのエピソードは到底書ききれないが、強くてたくましいミッキーに励まされたことは数えきれない。

苦しいときも、悩んだときも、「ミッキーを見習ってがんばろう」と力が湧いた。

予想もしない驚きや笑いをもたらし、家族の中心はいつもミッキーだった。

それほどまでにかけがえのない存在でありながら、一方でミッキーのいる生活は、いつしかあたりまえになっていった。

今日と同じ明日が来るようで、来年の今頃もそうは変わらないような気がして、日々は風のように過ぎていく。

ひとつひとつの幸せを噛みしめることのないまま、ただ慌ただしく忙しい毎日を繰り返した。

幸か不幸か、という言葉がある。

ミッキーの闘病中、何度となくこの言葉がよぎった。

幸か不幸か、コロナによって仕事が減った私は外出することもなく、ミッキーと過ごせる時間が格段に増えた。

IT系の企業で働く二人の息子は、普段は別居していたり、帰宅が遅かったりするのだが、やはりコロナのせいでテレワークになった。

テレワークも世間で言われるほど甘くはなく、昼食も取れないほどのタスクに追われていたが、幸か不幸か、ミッキーの様子を近くで見守ることができた。

腎不全が発覚してからの5ヵ月あまり。

幸か不幸か、迫りくる「別れ」を意識しながらも、家族総出で「ミッキーらしさ」を大切にできた。

散歩が大好きなミッキーのために、誰かが必ず付き添って、人気のない遊歩道や河川敷に毎日出かける。

雨の日は傘を差し、夜には懐中電灯を手にし、早朝に起きてはミッキーと一緒に歩を進めた。

別れは、身を切られるほどつらい。

けれどもミッキーと過ごした11年と5ヵ月と1週間、なんという幸せがあったのだろう。

たった1匹の、どこからともなく現れた小さな猫が、これほどまでの幸せをもたらしてくれるとは想像もしなかった。

雨の中、ミッキーと相合傘で身を寄せる。

どんな成功も、お金も、社会的地位も、この瞬間にはかなわない。

そう思えるほどの幸せを教えてくれたミッキーは、家族に見守られながら遠く旅立った。

今でも涙はとめどなくあふれるが、きっといつか空の上で再会できると信じている。

その日まで、ミッキーに恥じない人生を、強くたくましく生きていくんだと言い聞かせる。

つらい1年もそろそろ終盤。

わずかでも幸せを探し、そのための努力を重ねながら、人生のあらたなページをめくっていきたい。