「まさか」という名の坂がある
昨年12月に交通事故に遭い、腰椎骨折の重傷を負った。
交差点での車同士の事故だったが、相手は赤信号を見落とし、速度を落とさないまま私の車に側面衝突。
こちらはその衝撃で、車ごと交差点脇のコンビニ駐車場まで飛ばされた。
ちなみに車は全損、つまり廃車だ。
突然のことで、「まさか」、「ウソでしょ?」という感じ。
車内が焦げ臭くなり、「火が出たらこのまま死ぬかも?」と嫌な予感が頭をよぎる。
あとから聞いた話では、エアバックが作動する際に火薬が使われるそう。
焦げ臭かったのはそのせいだが、そんなことを知らない私は「死ぬ前に子どもに一言残したい」なんて考えていた。
朝の通勤時間帯だったこともあり、すぐに通行人の人垣ができて救急車や警察車両がやってきた。
救急隊員に担架に乗せられ、生まれてはじめての救急搬送。
大好きな医療ドラマではよく見てきたけど、実際にはものすごく乗り心地が悪い。
腰の激痛に加えて、首から頭がしびれている。
おまけにひどい寒気が襲ってきて、手足が氷のように冷たい。
「足の指を動かして!」なんて救急隊員に指示される中、私は律儀にもその日の仕事先への連絡を頼んだ。
「すみません、私のスマホ出して〇〇さんに連絡してください。事故に遭ったから今日行けないって、伝えてもらえますか」
我ながら、なんて仕事一筋なんだろう。
いや、単なる仕事バカという話。
搬送された病院での診断は「第3腰椎圧迫骨折・頸椎捻挫」で全治3ヵ月。
担当医師に「入院ですね」と言われて、「ええ?! 仕事の予定が詰まってるんですけど」と返したら、やけに冷静な一言。
「あなたね、重症なんですよ。下半身がマヒするかもしれませんよ。仕事どころじゃないでしょう」
ひゃー、事態はそんなに切迫してるのかと、さすがの単純思考も引っ込んだ。
そのまま2週間を病院のベッドで過ごし、年末に自宅療養に切り替えた。
介護ベッドや歩行器、トイレの手すりとか諸々レンタルしたが、まぁともかく自宅に戻れて一安心。
ところが安心したのも束の間、次の「まさか」がやってきた。
事故を担当する警察官の言動に、振り回される羽目になったのだ。
それまで知らなかったが、交通事故には物件事故(物損事故)と人身事故がある。
物件事故は車や物などの損傷にとどまる事故。
一方の人身事故は人が死傷したという事故で、私の場合は当然後者だ。
ところが警察では、なぜか「物件事故」として処理されていた。
私の保険会社からは「人身事故届を出すように」と言われていたため、ベッド上から警察に電話して「人身事故切り替え」を頼んだ。
すんなり受理されると思いきや、担当の警察官は執拗に「物件事故のままにするよう」にと言ってくる。
「ふつうの人はみんな物件事故のままなのに、なんであなたは人身事故にしたいのか」
「おかしいんじゃないか」
「物件事故のままでも保険金はおりますよ。だから物件事故でいいでしょう」
そんな感じで、もうメチャクチャ。
ネットには「警察は、人身事故にすると作業量が膨大になり、面倒だから物件にしたがる」みたいな情報がてんこ盛り。
そうだとしたら、自分の仕事を減らすために「泣き寝入り」を強いている。
そもそも「物件事故」では、加害者は何の処罰もされない。
赤信号で暴走し、他人に大ケガを負わせた加害者がふつうに暮らせるって、どう考えてもおかしな話だろう。
警察官の不誠実な対応に、私はおちおち寝てもいられない。
といって歩行もままならない身体ではどうにもできず、弁護士に相談することにした。
弁護士の介入でようやく人身事故届が受理されたが、さらに「まさか」の事態に突入。
加害者である相手だけでなく、私のほうまで「被疑者」になると言われたのだ。
コンビニの防犯カメラにも、双方の車のドライブレコーダーにも事故の一部始終は写っている。
カメラ映像では相手の車が赤信号で突っ込んできていることは明白、過失と加害行為は疑いようもない。
警察も相手が加害者であることは認定していたが、被害者の私にも「動静不注視」の過失があると言ってきた。
「動静不注視」、つまり相手が本当に赤信号で停止するかどうか、最後まで車の動きを見ていなかった過失だという。
おいおい、冗談じゃないよ。
車を運転するときは基本的に「前方」を見るもので、「横から突っ込んでくる車」なんて物理的に見られるわけがない。
抗議する私に、担当警察官は「ああ言えばこう言う」のごとく、あれこれと理屈をこじつけてくる。
この手の「こじつけ」は警察に限らず、裁判所や役所の類も同様だろうが、それにしても「加害者に甘く、被害者に冷たい」ものだと実感した。
一連の対応を巡っては弁護士にも動いてもらい、担当警察官から「個人的な謝罪」は受けた。
とはいえ、あくまで個人レベルのもの。
組織としての警察は、一度決めた「筋書き」をそう簡単には変えやしない。
私は「被害者であり、被疑者でもある」という、ワケわからない状態に追いやられてしまった。
最終的な結論はまだ出ていないが、事故以来、次々と直面する「まさか」に心身ともに疲弊した。
それでもなんとか気持ちを切り替え、仕事の再開を目指していた矢先、今度はコロナ騒動という名の「まさか」だ。
春に予定されていた講演会はすべてキャンセル。
このまま沈静化しなければ、その先だってどうなるのか見通せない。
もちろん私に限ったことでなく、大半の人が大きな不安を抱えている。
社会機能が滞り、経済的にひっ迫し、「まさか」の大混乱も起きかねない状況だ。
人生には「まさか」という名の坂がある。
そんなふうに言われるが、今の社会こそが、その坂に直面しているのだろうか。
どれほど高く、どれくらい険しいのか、わからない。
しがみついていられるのか、振り落とされていくのか、予想ができない。
ふと、入院中の不安と焦燥の中で見た朝の光を思い出す。
暗い窓の外が少しずつ白んでいき、やがて差し込んだ太陽の鮮やかさ。
明けない夜はない、そう信じていないと、そう信じる力こそが、「まさか」を乗り越えるために求められるのだろうか。