懐かしのSPA!

週刊SPA!(扶桑社)の編集者からインタビュー取材の申し込みを受け、担当ライターさんを交えて3人で会いました。

それにしても懐かしいSPA!

私をプロデビューさせ、3年5ヵ月も連載を持たせてくれた、まるで故郷のような雑誌です。

とはいえ、あれからなんと15年! 今の編集部にいる人たちは、もちろん私の存在など知りません。

当時の編集長もすでに退社されたとのことで、そんな話を聞くと月日の流れを実感します。

ちなみに、写真の左側が2012年7月に発売された最新号。

そして写真右側は、私の連載がはじまって間もなくの1997年7月に発売された号。

15年前だけあって「バブリーマン」なんてタイトルが見えます(笑)。

今ではキャビンアテンダントという呼称も、当時は「スチュワーデス」だったんですね。

本当に、言葉は時代を象徴してるなぁ、と感じます。

私よりずっと年下の編集者、ライターさんと「SPA! 今昔」について語り合いました。

私が連載を持っていたころは、まだ出版業界も元気がよかった時代。

「いつも会社の玄関前に3~4台のバイク便が待機してた」

「夜の8時から編集部で打ち合わせして、そのあとデスクや担当編集者と一緒に銀座にご飯を食べに行き、西麻布のバーでお酒を飲んで、帰りはタクシーチケットで家まで2万円かけて帰ってた」

「編集部の班(ニュース班、グラビア班などに分かれている)のみんなで、ニューハーフのクラブに行き、デスクがチップだと言って1000円札をじゃんじゃんニューハーフの胸元にはさんでいた」

…そんな過去の栄光話(苦笑)をすると、若い彼らは「信じられない~」と驚きの表情。

そりゃそうでしょう。

当の私自身、「そんな時代があったんだぁ」と、今ではまったく信じられない思いです。

SPA! で仕事をしていたころは、この業界のイロハもよくわからないひよっこだった私。

数えきれないほどの失敗や間違いを重ね、そのこと自体に気づかないというお粗末さでした。

あれから少しはおとなになったと思いますが(いや、単純に年齢だけで言えば十分すぎるほどおとな)、相変わらずこの業界ではどこか浮いているような気がします。

そんな自分が、外から見られるときには「先輩」になってしまうなんて、恥ずかしくもあり、申し訳なくもあり…。
 
「バブリーマン」という言葉が誌面に躍っていたあの時代、ともに働いた人たちは今どうしているだろうと、懐かしさだけでなく、どこかせつなさも覚えます。