『あの日』とマスコミ

小保方晴子さんが書かれた『あの日』(講談社)を読んだ。

読み終えたのは1ヵ月ほど前だが、それからいろいろなことを考えるうち、時間が過ぎてしまった。

なぜ時間を要したのかと言えば、『あの日』には、苛烈なマスコミの取材攻勢、個人を徹底的に追い詰めるメディアスクラムの様子が克明に描かれているからだ。

私自身、マスコミに身を置く立場なので、単に一読者としての感想を持つだけでは済まない。

特に、週刊誌の仕事を多く経験していることもあり、他人事として捉えるわけにはいかないだろう。

長い取材経験の中では、心ならずも人を傷つけてしまったことがある。

自分の至らなさゆえ、不信や怒りを買ったことも少なくない。

マスコミに限ったことではないだろうが、組織内の反目、複雑な人間関係といった裏事情も垣間見てきた。

そういう自分を踏まえて、『あの日』についての感想をどうまとめればいいだろうか、と思案を繰り返していたのだ。

小保方さんのご著書には、一連のSTAP騒動の顛末、「彼女側から見た経緯」が丁寧に綴られている。

やや情緒的なところもあるが、素直な文体で、科学用語もわかりやすく解説されている。

なによりも、刻々と変わる状況が克明に記され、よく練られた原稿構成だ。

これは著者である小保方さんご自身の力量もあるだろうが、担当編集者や編集部内の力による部分も大きいように思う。

通常、書籍の原稿が執筆される際には、「誰に」、「何を」、「どう伝えるか」が検討される。

読者対象をどう想定するのか、その読者に何をどのような形で伝えると効果的か、作品の方向性や構成案が著者と編集者との間で話し合われる。

『あの日』を出版することが、小保方さん側からの希望だったのか、それとも講談社側の依頼だったのかは不明だが、少なくとも小保方さんご自身が「本を出す」という明確な意思を持ったことは事実だろう。

誰に向けて、どういう内容や構成で作り上げるか、当事者ならではの取捨選択や意図があったはずだ。

そうでなければ、本は出ない。

では、小保方さんはどうして「本を出す」という決断をされたのか?

ご本人の気持ち、本意はわからないから軽々には言えないが、『あの日』を読む限り、彼女は「弁明したい」、「自分の言葉として伝えたい」という強い思いを持たれていたのだと感じる。

実際に、そうした記述が散見され、章タイトルにも「戦えなかった、戦う術もなかった」とある。

言い方を変えれば、「自分の思いを語りたかったが、その機会を奪われていた」ということだろう。

本来ならもっと早い段階で、小保方さんにきちんとした弁明の機会が与えられるべきだったと思うが、実際にはかなわなかった。

正確に言えば、かろうじて弁明した内容が曲解されたり、都合よく脚色された。

当時の彼女の状況、心境を思うと胸が痛む。

行き過ぎた取材攻勢、そして偏向した報道には、同じ業界にいる者ながら殺伐としたものを感じ、暗澹たる気持ちにもなる。

ところで、『あの日』には、マスコミで働く私の胸にストンと落ちた記述がある。

以下、P182から抜粋させていただこう。

この書類の内容は発表前からいつものように毎日新聞社にリークされ、「STAP問題:笹井氏、枠超え小保方氏を『囲い込み』」といった記事や、「小保方氏採用も特例 通常審査の一部省略」といった個人攻撃的な報道がどんどんと流された。三木弁護士の事務所には毎朝、大勢の記者さんが押しかけてくるが、他社の新聞記者さんたちが「毎日新聞さんの報道姿勢はおかしいと感じているから後追い取材はしない」と言っていることなどを三木弁護士から聞かされた。

ここには、「他社の新聞記者が、毎日新聞の報道姿勢に疑問を感じている」こと、「笹井氏と小保方さんとの個人的関係を想起させるような取材はしない意思を示した」ことが書かれている。

小保方さんの記述では、「三木弁護士から聞かされた」と伝聞形式になっているが、私の個人的な感触では事実だと思える。

なぜなら、私の知る範囲でも、複数のマスコミ関係者から同様の声が上がっていたからだ。

「後出しジャンケン」と批判されることを承知の上で言えば、一連の騒動の最中、個人攻撃的な報道の在り方を疑問視する声はマスコミ内に確かにあった。

業界関係者の集まりの席で、「STAP問題の本質を探ることがむずかしい。

世間のバッシングに迎合するかのような記事が先行している。

声の大きい人に流されているよね」と危機感を露わにする人もいた。

声が大きいこと、世間受けする話題が「売れる」と歓迎され、逆に地道な取り組みが「暗い、売れない」と敬遠される今の業界の流れにも嘆息が広がった。

小保方さんも、マスコミの一部にあるこうした声、空気をどこかで感じ取られてはいなかっただろうか。

「マスコミ=全面的な敵」ではなく、たとえわずかでも一連の騒動に真摯に向き合おうとするマスコミ人の気配を察していたのではないだろうか。

だからこそ、「本を出す」という選択をされたのだと思いたい。

小保方さん側、講談社側双方にさまざまな思惑があるかもしれないが、業界最大手の出版社を通じてあの騒動の一端があきらかにされたことには、少なからず価値があると思う。

『あの日』を読み終えたのは、移動の飛行機の中だった。

窓からは白い雪に覆われた富士山が美しく見えた。

雲海に突き出たその山頂は、おそらく地上からは見えないだろう。

それでも、見えない部分を見ようとする力、あるいは想像し、探そうとする力は、この仕事に必要不可欠だ。

私は見ようとしているだろうか。

そう自分自身を振り返りながら、今日も原稿を書いている。