ゆらぎ世代

年に二度、LETSというライタースクールで特別講義を受け持っている。

ここは、首都圏の家庭向けフリーペーパーを発行するリビング新聞の関連会社が運営するスクールだ。

そのため受講生は全員女性、特に30代と40代が多い。

LETSの代表者・S先生は、この世代の女性を指して「ゆらぎ世代」だと言う。

うまいっ! と感心する絶妙のネーミングだ。

「ゆらぎ世代」の女たちは、さまざまな形で揺れている。

仕事、家庭、子育て、親の老後、住宅ローン、教育、人間関係、自分や家族の健康問題、人生設計…、誰でもなんらか心当たりがあるだろう。

そんな悩みや迷いが、ある思いを駆り立てる。

「とにかく何かしたい!」、そして「何かすることで現状を変えたい!」というものだ。

私はそういう女性を数えきれないほど取材してきた。

けれども、実はこの先が「ゆらぎ」の本質なのだ。

「とにかく何かしたい!」、ではその「何か」はいったい何なのか…。

肝心のことが見えずに、ますます揺れる。

そうしてあれこれ考え、あちこち手を伸ばし、ようやく「何か」の片鱗が見えてくる。

たとえばLETSなら、「書く仕事をしたい」という方向性や目標が見つかるわけだ。

スクールに入ると、毎回「課題」が与えられる。

漠然としていた「何か」が、「課題をこなす」という明確な道筋となる。

つまり、自分のやるべきことがクリアになり、「ああ、私は今、これをがんばっている!」という達成感を得られる。

そういう高揚は、もちろんいいものだと思う。

ただしそれだけでは、いずれあらたな「ゆらぎ」に直面する。

誰かから与えられたもの、たとえば「〇〇について書きなさい」という課題はこなせても、「自分が書きたいものは何か」、ここが容易に見つからない。

すると、「私には才能がない」と落ち込み、「こういう方向は合っていないかも」と傷つき、結局は「ゆらぎのドツボ」に陥る。

「ゆらぎ」を解消したくてはじめたことが、より大きな「ゆらぎ」になっていくわけだ。

こう書くと、身もふたもないように感じられるかもしれないが、ここからが本題。

「私が書きたい何か」が見つからないと嘆く前に、そもそも見つける手段や方法が間違っていないかを考えてほしいのだ。

「ゆらぎ世代」の女性が「何か書く」となったとき、どこに着目するだろうか。

いきなり政治や経済問題について書こうという人はまずいなくて、大抵の場合は身近な素材、たとえば子育てとか教育、料理や収納テクニック、家族やご近所ネタといったところに目を向ける。

「楽々簡単な収納術」とか、「冷蔵庫の残り物アレンジレシピ」とか、いわゆる「ありがち」な発想をする。

確かに必要な、そして大切な情報ではあるけれど、この程度のことを思いつく人はゴマンといる。

本当の意味で「私が書きたい何か」を見つけるためには「ありがち」から脱して、別の視点を持つことが大切だ。

たとえば、「政治や経済問題について書こうという人はまずいない」のならば、そこに着目したらどうだろうか。

といって、今後の政治動向とか景気判断とか、小難しい話をネタにしろ、と言うのではない。

近所のスーパーで買い物をして、「値引きシール」が貼ってある商品を買うのなら、「なぜこの商品が値引きされているのだろうか?」と考えてみる。

賞味期限が迫った生鮮食品ならともかく、衣料品や雑貨、生活用品が「〇曜日だけ30%引き」なんてことがあるけれど、あれはどういうウラがあるのだろうか、と疑問を持ってみる。

30%引きでも儲かるの? 値引きされる商品とされない商品の違いは? 値引き商品の中でも特にお買い得なものは何? 

…などと自分の疑問をいくつも挙げてみる。

最終的に「値引きのカラクリ」について書けば、それはひとつの経済の仕組みを表すことになる。

つまり、女だから、オバサンだから経済は無理という思い込みが崩れ、ちゃんと「私が書きたい何か」が見つかる。

「ゆらぎ世代」の真の問題は、結局のところ「自分が思い込んでいる世界」の中だけにとどまっていることだと思う。

女だから、主婦だから、子どもがいるから、歳だから…、いろんな思い込みに縛られたまま「何か」を見つけようとしても、そのままではあらたな発見はむずかしい。

まずは、自分の生活や経験、思考に「疑問」をぶつけてみる、そんな視点を持ってほしい。

さて、この日のLETS。

特別講義が終わり、生徒さんたちとランチに行った。

「石川さんは忙しい仕事をしていますけど、ご家庭との両立は大丈夫なんですか?」みたいな質問が出た。

この手の話は毎度のことで、質問した人に決して悪気はない。

それどころか、「ゆらぎ世代」の女性が特に知りたい内容だろう。

私は当たり障りなく答えながらも、「違うんだよなぁ」と胸の中でため息をつく。

「働く女性=仕事と家庭の両立は大丈夫?」と尋ねる前に、そんな思考をする自分自身に疑問をぶつけてほしい。

なぜ自分はそういう質問をしたいのだろうか、どうして多くの女たちがいまだにその思考にとらわれているのか、ここを考えてほしいのだ。

政治の世界では、「女性活躍社会」とご立派なことが言われている。

それほんと? 女性が活躍するために具体的にどうするの?  現実の女性は心から活躍したいと望んでる? 女が活躍したら、家事や子育て、介護は男がやってくれるの?

…と、そんな疑問が浮かんだらそれを調べて書けばいい。

ほんの少し視点を変えれば、「政治」のことだってネタにできる自分が見つかる。

そしてまたひとつ、「私が書きたい何か」、あるいは「私だから書ける何か」が手に入るのだ。