隣る人

ドキュメンタリー映画『隣る人(となるひと)』の試写会に行ってきました。

この映画の舞台は、小舎制の児童養護施設です。

ちなみに「小舎制」とは一戸建て住宅やユニット式の建物などを利用して、一般家庭と同じような雰囲気で子どもを養育する小規模施設のこと。

ここでは、親の離婚や病気、経済困窮、児童虐待など、さまざまな事情を背負った子どもたちが、隣る人、つまり親身に寄り添ってくれる保育士や職員と暮らしています。

監督の刀川和也氏は、アジアプレス・インターナショナルに所属するフリージャーナリストで、この『隣る人』が初監督作品だそうです。

とはいえ、実に8年間もの歳月をかけて、親と離れて暮らす子どもたち、彼らを見守り支える職員の日常を丹念に追った労作&秀作です。

私自身、児童養護施設への取材をつづけてきました。

そのせいか、映画に登場するシーンの数々に複雑な思いがよぎりました。

たとえばある女の子が、カメラに向かって「撮ってんじゃねぇよ、変態!」とすごむシーンがありました。

たぶん、7~8歳くらいの小学生です。

試写会に参加していた観客の皆さん(平日の午後とあってか、中高年層が多かった)は、女の子の言葉にどっと笑うんです。

私の隣に座っていた年配の女性なんて、「あはははー、変態だって。あの子ったら、やだぁ~」と、まるでお笑いを見ているようにウケてました。

でも私はまったく笑えないどころか、えっ、ここ笑うとこ? と、ほかの人とのズレを痛感しました。

私の心に刺さったのは、「変態!」というすごみではなく、そのときの女の子のまなざしです。

射るような、という表現がぴったりくるほど鋭利な目の奥に、おとなへの疑いや不信が潜んでいるようで、笑うどころかすーっと背中が冷えました。

誤解のなきよう書きますが、もちろんその女の子が悪いわけでは決してなく、まだ幼い彼女がああした目をせずにはいられなくなった背景に、あれこれと「心当たり」があったからです。

その「心当たり」は、私が今までの取材現場で見たり、聞いたり、学んだりしたから感じるものであって、一般の観客の皆さんがどっと笑っちゃうのはある意味自然な反応なのでしょう。

だけど、本当に笑っていいシーンなのかな、とやはり引っかかるものがありました。

試写会が終わった後、刀川監督にそのあたりをぶつけてみました。

刀川さんは、「まず知ってもらうことが大事だと思います」という趣旨のことをお話しされていました。

そうですね、本当にそうだと思います。

社会は一足飛びには変わらない、一歩ずつ、地道に訴えていくしかないのだと思います。

けれども一方で、こうしている間にも、多くの子どもたちが虐待や貧困の渦中にあり、傷を深めているという現実もあります。

社会が手をこまねいているうちに、彼らは年齢を重ね、同時におとなへの疑いや不信を募らせ、ますます射るようなまなざしになっているのではないか、そんな思いが消せません。

私はときどき、自分のやっていることに無力感を覚えます。

すくっても、すくっても、こぼれ落ちていく砂と格闘しているような気になるのです。

それは、映画に登場する「隣る人」たちも同じなのではないか、そんなふうにも思います。

けれども、少なくとも映画の中で、「隣る人」たちは、静かな優しさ、ぬくもり、日々のなにげない愛情を存分に見せてくれます。

まさに一歩ずつ、地道に。
公開は2012年5月12日~。
http://www.tonaru-hito.com/
多くの方にご覧いただきたい映画です。