活動報告

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2011.12.10
「ルポ 子どもの無縁社会」を書いたわけ

12月10日、中央公論新社より、私の18作目(文庫・翻訳本含む)の著書が発売されました。「ルポ 子どもの無縁社会」というタイトルの新書です。

この本の企画が通ったのが7月、それから3カ月足らずで原稿を書き上げるという大変な執筆状況でしたが、その前には、約5年間にわたる取材期間がありました。

学校の先生、児童相談所に勤務する児童福祉司の方、厚生労働省や文部科学省、各地の行政機関、子育て中のお母さんなど、取材は多方面かつ多角的に行いました。

この仕事には、むずかしい取材がつきものです。

とりわけ、「個人情報」が重視される昨今、取材に協力してくださる方の口が重いこともしばしばです。

そこをなんとか、そして何度もお願いして、貴重なお話を伺ってきました。

官公庁が集計する各種の調査結果やデータの有無を突きとめていくのも、なかなか大変です。情報公開の時代なので、一応公開はされているのですが、どこに、なんという名称で公開されているのかわからないと探しようがありません。

しかも、「奥の奥」に隠れている(隠されている?)ようなデータも多いのが実状です。

官公庁や行政の窓口を取材する際は、「そういう調査はないですね」と言われても、「だったら、似たような調査やデータはありませんか?」、「今ないなら、今後調査する予定はありますか?」などと食い下がらないと、奥の奥からは出てきません。 

 このあたり、自分がオバチャン化しているせいか、かなりずうずうしく食い下がれましたけど...(笑)。

そんな集大成が、ようやく一冊の本として世の中に出ていく―――、やはり相応の思いがあります。それと同時に、私が「子どもの無縁」というテーマに取り組んだ原点に思いが及びます。

なぜこの本を書こうと思ったのか、それは私の息子が小学1年生だった15年ほど前に遡ります。

内気な息子が、同じクラスのお友達を連れて家に帰ってきました。仮にA君とします。

A君と息子は、我が家にあったテレビゲームで一緒に遊んだり、釣竿とバケツを持って近所の池に魚釣りに行ったり、学校近くの駄菓子屋で「うまい棒」を買って食べたりと、ずいぶん仲良く遊んでいる様子でした。

ある日、夕食時になってもA君が家に帰ろうとしません。

私は、息子のせっかくの友達を大事に思う気持ちもあって、「ウチでご飯食べていく?」と気易く誘いました。

A君は、「うん、食べる!」と元気よく、おかずをお替わりまでしてモリモリと食べてくれました。

ところが、私はうっかりA君のお母さんに電話連絡をしていなかったのです。ハッと気づいて、あわてて電話をしたのは夕食が済んでから...。

A君のお母さんは、電話口で「暗くなっても子どもが帰って来ないから心配して、学校の先生に連絡しようと思ってた! なんのことわりもなく、勝手にご飯を食べさせるなんて!」などとひどく立腹しています。

親にすれば当然のことで、私は必死に謝ったのですが、一方で少し気になることがありました。A君のお母さんの「ろれつ」がまわっていなくて、どう聞いても酔っているふうなのです。

その一件があってから、A君のことがどことなく気がかりでした。

一見するとどこにでもいる小学1年生のようですが、髪の毛や爪が伸びたままだったり、靴のサイズが小さくなっていたり、おやつにお菓子を出すとひとつ残らずポケットに詰めこんでしまったり...。

何かがおかしい、そう感じはじめた矢先、A君は突然学校に来なくなりました。息子の友達だったこともあって担任の先生にそれとなく事情を尋ねると、困った笑みを浮かべながら「引っ越しされたようですね」と言います。

「転校ですか? どこの学校に?」と重ねて聞くと、「それはちょっと...。お答えできないんです」としどろもどろです。

結局、A君がどこに行ったのかはわからないままでした。

「夜逃げしたんじゃない?」とか、「おじいちゃんの家に引き取られたらしいよ」とか、しばらくの間はそんな噂が親たちの間に流れていましたが、やがて誰もA君のことを話題にしなくなりました。
 
A君は元気でいるだろうか。

A君のお母さんと電話で話したあのとき、もっと話せることや、仲良くなれるきっかけがあったんじゃないだろうか。

―――そんなざらついた思いが心の底にこびりついて、私は「子どもの無縁」というテーマを追うことにしたのです。

誰かに気にかけてもらえない、誰にも関心を持たれない、そんな子どもの実態を取材しながら、「無縁」は決して例外ではなく、どんな子どもにも忍び寄っていると痛感しました。

家族、地域、学校、職場、さまざまな「縁」が希薄化している今、おとなの孤独が、子どもに受け継がれています。

おとなの都合に翻弄され、傷つけられたり、死に追いやられる子どももあとを絶ちません。
 
私は、ある日消えてしまったA君に何もしてあげることができませんでした。A君と同じような状況にある子どもたちにも、直接、何もしてあげられません。

だからせめて、彼らのようなつらさ、苦しみを味わう子どもがひとりでも減るように、そんな思いから今度の本を書きました。

A君、あなたは今どこで何をしていますか?

息子と一緒に遊んだ任天堂スーパーファミコンのゲーム機はもう家にはないけれど、あなたが息子の部屋に忘れていった小さな靴下は、洗濯したままタンスの奥にしまってあります。
 

石川結貴

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