もうすぐ6年

あと数日で3月。

春の訪れに心弾む一方で、「あの日」以来、3月の景色が違う色にも感じられる。

忘れようもないあの日、東日本大震災が起きた2011年3月11日だ。

6年前のあの日に関しては、おそらく人の数だけ物語があるだろう。

あの日、あのとき、自分はどこで何をしていたか――。

記憶は多くの人にとっていまだに鮮明で、忘れようにも忘れられるものではないかもしれない。

震災後、甚大な被害に見舞われた東北3県、岩手県、宮城県、そして福島県を何度も訪れた。

取材だったり、講演だったり、個人的な訪問だったりしたが、訪れるたび、それぞれ違う声や思いに接した。

つらさ、苦しさ、とめどない悲しみの声をたくさん聞いた。

恨み、憎しみ、たとえようもない不安に押しつぶされそうになっている人もいた。

1年経ち、2年が経ち、もうすぐ6年。

深い絶望を胸の奥に秘めて、それでも歯を食いしばり、懸命に生きる人たちと会うたび、心に迫るものがある。

今月は岩手県洋野町(ひろのちょう)に伺った。

NHKの朝ドラ『あまちゃん』で、主人公のアキが通う「北三陸高校・潜水土木科」の潜水実習は、ここ洋野町にある種市高校のプールが使われている。

あれ? 「種市」って、アキが思いを寄せる先輩の名前じゃなかったっけ?

…と思う人もいるだろうが、まさに「種市先輩」は、洋野町の地名・種市から付けられたものだ。

ついでに言うと、「俺は~、海の底、南部のダイバー~♪」の「南部ダイバー」の歌(作詞/作曲・安藤睦夫氏)も実在し、種市高校で歌われている。

洋野町は三陸海岸沿岸部にあり、先の震災では高さ10メートル以上の津波に襲われた。

防潮堤が破壊され、漁港も漁船も瞬く間に巨大な波にのまれた。

海沿いの地域は、建物も、道路も、橋も押し流され、壊滅状態となっている。

にもかかわらず「人的被害ゼロ」、つまり津波による死者がひとりも出なかった。

これは「洋野町の奇跡」と言われている。

町の職員の方が、「はまなす亭」という食堂に案内してくれた。

この食堂も津波の被害を受け、今は仮設店舗で営業されている。

昼食を済ませていたので、残念ながらお店で食事をとることができなかったが、代わりにおみやげを購入させていただいた。

洋野町の名産、ウニの瓶詰とウニめし、それにホヤ貝を使ったホヤラーメン。

いずれも貴重な海の幸だ。

女将さんが「ホヤ塩」の味見をさせてくれた。

「ホヤ」をさばいたときに中から出る海水をそのまま煮詰めて精製した「塩」で、口に入れると独特のうま味と苦み、それに磯の香が広がる。

伊豆の海育ちの私には、本能を刺激されるような(笑)、懐かしさが感じられた。

「ホヤ塩」は天然ものを使って精製しているため、漁の状況次第で生産量が限られる。

一時は注文が殺到して出荷が追い付かず、半年、1年待ちになっていたという。

「お客さんがいてくれて、ありがたいことですよ。まだまだがんばらなくっちゃ!」

女将さんはそう言いながら、明るく笑う。

その笑顔の裏に、おそらくはたくさんの苦しみや悲しみがあるだろう。

けれども一方で、生きていること、生かされていることに感謝しながら、「がんばらなくっちゃ!」と前を向く人の強さが、私は好きだ。

どこかで自分と重ね合わせているのだと思う。

家に帰ってから、遅い夕食にホヤラーメンを作って食べた。

滋味豊かな、心がホッとするようなスープを飲み干して、私もまた生かされていることにしみじみ感謝の思いが込み上げた。